延命治療を巡る家族の心情は非常に複雑です。医師1000人を対象とした調査では、多くの医療従事者が「患者や家族の意思を尊重しないと、後で何を言われるか分からない」という現実的な懸念を抱いています。
実際の事例を見てみると、80歳の父親が脳出血で倒れた和男さん(仮名)のケースは典型的です。当初は「親父を助けて!」と医師に懇願したものの、結果的に父親は2年間植物状態で生かされ続けました。鼻からのチューブによる栄養注入、腕への点滴により、父親の手は「真っ黒でまるで炭のようになり」、手の甲や足の甲にまで針を刺す状態でした。2年間で支払った医療費は約2500万円にものぼりました。
この事例から見えてくるのは、家族の「延命に対する無知」と「病院にお任せ」という姿勢が、結果的に患者に残酷な最期を強いてしまう現実です。
家族が延命治療を選択する背景には以下の要因があります。
医療従事者の視点から見ると、40代の泌尿器科医師は「その人の意思を無視して、ただ生きてて欲しいと願うのは家族のエゴだと思う」と率直に述べています。
医師が延命治療について家族に説明する際の現状は決して理想的とは言えません。人生の最終段階における医療についての研究によると、「多くは治療法についての説明に終始しており、よくわからないまま同意した家族も多かった」という実態が明らかになっています。
医師の立場から見た延命治療の判断基準は以下のように複雑化しています。
医学的観点での判断要素
社会的・倫理的考慮事項
救命救急の現場経験を持つ医師の証言では、「高齢者の場合、御家族に聞くとほぼ『もうこのまま楽に...』という答えが多く、若くして突然となると、『やはりできる限りのことは...』という答えが多い」という傾向が指摘されています。
しかし、問題となるのは説明の質です。単に治療選択肢を提示するだけでなく、それぞれの治療が患者にどのような影響を与えるか、生活の質(QOL)への影響、家族の負担について具体的に説明する必要があります。
適切な説明に含まれるべき要素
日本の医療現場では、まだまだ「インフォームドコンセント」が形式的になりがちで、真の意味での理解に基づく同意が得られていないケースが多いのが現実です。
患者自身が延命治療を拒否する意思を明確に表明している場合でも、家族がそれを受け入れることは容易ではありません。田村淳氏の母親の事例では、母親が「延命治療はせん」と言い続けていたにも関わらず、息子としては複雑な心境を抱いていました。
患者が延命治療拒否を表明する理由。
身体的苦痛への懸念
家族への配慮
価値観・信念に基づく判断
しかし、家族の立場からすると「少しでも長く一緒にいたいと願うのは子供のエゴでしょうか?」という葛藤が生まれます。この問いに対して、経験者からは以下のような意見が寄せられています:
「思うだけならいいと思いますよ。でも、お母様が延命を望んでいないのなら、尊重するべきです。それを無視して、長生きさせる為の措置をするのはエゴです。本人のためではなく、自分のためですよね」
「ストレスのかかる治療を無理やり押しつけて、一日でも長く生きることを望むのは家族のエゴでしかないですから」
このような状況で家族ができることは。
日本社会における延命治療の捉え方は、西欧諸国と比較して独特の特徴があります。家族の絆を重視する文化的背景から、個人の自己決定権よりも家族の意向が優先される傾向が強く見られます。
日本特有の延命治療観
しかし、この価値観が必ずしも患者本人の利益につながらないことが問題視されています。ある医師は「自分のことだけを考えれば延命治療は希望しないが、家族にとって自分が生きていること(心臓が動いていること)に意味があるなら延命してもらってもかまわない」と述べており、患者自身も家族への配慮から本音を言えない状況があることが分かります。
現代日本が直面する倫理的課題
海外の事例から学ぶ教訓
オランダでは尊厳死が合法化されており、患者の自己決定権が強く保護されています。一方で、厳格な条件と手続きが設けられており、医師による慎重な判断が求められています。
アメリカでは「事前指示書(Advance Directive)」の制度が普及しており、患者が意識のある時に将来の医療方針について詳細に指示を残すことができます。これにより、家族の心理的負担を軽減し、患者の意思を尊重した治療選択が可能になっています。
延命治療を行わない選択をした場合、家族が経験する心理的プロセスには共通のパターンが見られます。研究によると、「どの家族も患者の死について、程度の差はあっても、受容していた」ことが明らかになっています。
家族の心理的受容プロセス
延命治療に代わる選択肢として注目されているのが「緩和ケア」と「看取りケア」です。これらのアプローチでは、治療の目標を「治癒」から「苦痛の軽減」「QOLの向上」「尊厳ある死」へとシフトします。
緩和ケアの具体的内容
在宅での看取りを選択した家族の多くは、「最後まで家族として過ごせた」「本人の希望を叶えることができた」という満足感を得ています。ただし、在宅看取りには24時間体制での家族の献身的なケアが必要であり、すべての家庭で実現可能ではないという課題もあります。
看取りを経験した家族の証言
「積極的な延命治療はしないと話し合ってきたのに、後から思えば母に不要な点滴を続けて水ぶくれのようにして苦しませてしまった」
「私は母の胃ろうを拒否するつもりだったが、いざ容体が悪化すると、できるかぎりの治療をしてしまい、つらい思いをさせた」
これらの証言からは、事前に方針を決めていても、実際の場面では感情的になってしまい、結果的に後悔する家族が多いことが分かります。このような状況を防ぐためには、単なる事前の話し合いだけでなく、継続的な医療チームとの関係構築と段階的な心の準備が重要です。
人生の最終段階における医療選択は、正解のない極めて個人的で複雑な問題です。しかし、患者本人の意思を最大限尊重し、十分な情報提供と心理的サポートがあれば、家族が納得できる選択が可能になります。医療従事者には、技術的な治療提供だけでなく、家族の心理的葛藤に寄り添い、適切な意思決定を支援する役割が求められています。
家族が「エゴではないか」と悩む最大の理由は、本人の意思が分からないことにあります。そのため、健康な時からの継続的な対話と、専門家を交えた事前指示書の作成が、このジレンマを解決する鍵となるでしょう。