顎関節症の症状と治療方法
顎関節症の基本情報
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定義
顎関節とその周囲の筋肉に異常が生じることで発症する疾患です
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有病率
成人の約10-15%が何らかの症状を経験するといわれています
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重要性
放置すると慢性化し日常生活に支障をきたす可能性があります
顎関節症の主な症状と痛みの特徴
顎関節症は、顎の関節部分とその周囲の筋肉に異常が生じることで発症する疾患です。患者さんが訴える症状は多岐にわたりますが、主に以下のような症状が特徴的です。
- 口の開閉時の痛み:特に口を大きく開けようとした際に顎関節部に痛みや不快感が生じます。この痛みは、関節内の炎症や周囲筋肉の緊張によって引き起こされます。
- 開口障害:顎関節症の患者さんの多くが口を十分に開けられなくなります。一般的に健康な成人は人差し指から薬指まで3本の指が入る程度(約4cm)口を開けられますが、顎関節症では2本分(約2-3cm)程度しか開かないことがあります。
- 関節雑音:口を開閉する際に「カクッ」「ゴリッ」といった音が発生します。これは関節円板の位置異常や変形によって生じることが多く、患者さんは「砂利を踏むような音がする」と表現することもあります。
- 顎の疲労感:通常の食事や会話でも顎が疲れやすくなり、「噛むとだるい」「長く話すと顎がくたびれる」といった症状が現れます。
- 関連症状:顎関節症は耳痛、頭痛、首の痛み、側頭部の痛みなど、顎から離れた部位にも症状が波及することがあります。これは顎の筋肉と周辺の筋肉が連動しているためです。
症状の重症度は個人差が大きく、日常生活に支障をきたさない軽度のものから、食事や会話が困難になるほど重度のものまでさまざまです。また、症状は一日の中でも変動することがあり、特に朝起きた直後や疲労時に悪化する傾向があります。
顎関節症を引き起こす5つの主な原因
顎関節症の発症には複数の要因が関与していることが多いです。主な原因として以下の5つが挙げられます。
- TCH(歯列接触癖):TCHは「Tooth Contacting Habit」の略で、無意識のうちに上下の歯を接触させる習慣を指します。通常、食事や会話時以外は上下の歯は軽く離れているのが自然な状態です。しかし、ストレスや集中時に無意識に歯を接触させていると、顎の筋肉に持続的な負担がかかります。研究によると、顎関節症患者の約80%がこのTCHの習慣を持っているとされ、最も重要な要因と考えられています。
- 歯ぎしりと食いしばり:特に睡眠中の歯ぎしりや、ストレス状況下での食いしばりは顎関節に大きな負担をかけます。歯ぎしりによって発生する力は通常の咀嚼力の数倍にも達することがあり、関節や筋肉に過度な負荷をかけます。
- 姿勢の問題:猫背やスマートフォンを見続ける「スマホ首」などの不良姿勢は、頭部の位置を前方に押し出し、顎関節にも悪影響を及ぼします。また、頬杖をつく習慣や片側だけで咀嚼する「偏咀嚼」も顎に不均等な力をかけ、症状の原因となります。
- 精神的ストレス:ストレスは筋肉の緊張を高め、TCHや歯ぎしりの増加につながります。特にストレス状態が長期化すると、顎の筋肉が常に緊張した状態になり、顎関節症の発症リスクが高まります。現代社会においてストレス要因は避けられないものですが、その影響は個人の対処法によって大きく異なります。
- 外傷と噛み合わせの問題:顎への直接的な外傷(事故やスポーツ外傷など)や、不正咬合(噛み合わせの問題)も顎関節症の原因となります。特に開咬(奥歯は噛んでいるが前歯が噛み合わない状態)や反対咬合(下顎が前に出ている状態)などの不正咬合は、顎関節に不自然な力がかかる原因となります。
これらの原因は単独で存在することもありますが、多くの場合は複数の要因が複雑に絡み合って症状を引き起こしています。例えば、ストレスによってTCHや歯ぎしりが増加し、それが不良姿勢と相まって症状を悪化させるという悪循環に陥ることがあります。
顎関節症の診断方法と専門医による検査
顎関節症の正確な診断には、詳細な問診と適切な検査が不可欠です。診断プロセスは以下のように進められます。
【問診】
まず医療従事者は患者の症状について詳しく聞き取りを行います。特に以下の点に注目します。
- 痛みの性質と発症時期:いつ頃から症状が始まり、どのような時に痛みが増強するか
- 開口制限の有無:最大開口量とその際の痛みの有無
- 関節音の特徴:カクカク音(クリック音)か、ゴリゴリ音(クレピタス)か
- 日常習慣:歯ぎしりや食いしばりの自覚、頬杖、片側咀嚼の習慣など
- ストレス状況:仕事や家庭環境でのストレス要因の有無
【臨床検査】
問診後、以下の臨床検査を行います。
- 開口量の測定:定規などを用いて最大開口時の上下前歯間の距離を測定します。通常、成人では40〜50mm程度開口可能ですが、顎関節症では30mm以下に制限されることがあります。
- 顎関節の触診:顎関節部や咀嚼筋(咬筋、側頭筋など)を指で触れ、圧痛の有無や筋の緊張状態を確認します。
- 顎運動の観察:口を開閉する際の下顎の動きを観察し、開口路の偏位や運動制限の有無を確認します。また、関節音の発生タイミングも重要な診断情報となります。
- 咬合検査:噛み合わせの状態を確認し、不正咬合や咬合干渉の有無を調べます。咬合紙を使用して咬合接触点を視覚化することもあります。
【画像検査】
必要に応じて以下の画像検査が行われます。
- パノラマX線写真:顎全体の骨構造を確認し、骨の変形や炎症の有無を調べます。
- MRI検査:関節円板の位置や形態、関節腔内の状態を詳細に確認できます。特に関節円板の前方転位(アンテリアディスク・ディスプレイスメント)の診断に有用です。
- CT検査:骨の微細な構造変化や骨棘形成などを確認するのに役立ちます。
【スクリーニング質問】
日本顎関節学会が推奨するスクリーニング質問として、「最近1ヶ月以内に、顎を動かすと顎の関節や筋肉が痛みますか」という質問が有効とされています。この質問に「はい」と答える患者は顎関節症の可能性が高いとされています。
専門医による適切な診断は、効果的な治療計画の立案に不可欠です。特に慢性化した症状や重度の機能障害がある場合は、顎関節症に精通した歯科医師や口腔外科医師の診察を受けることが推奨されます。
顎関節症の効果的な治療法と対策
顎関節症の治療は、症状の重症度や原因によって異なりますが、世界的に認められている原則として、まずは「可逆的な治療」から開始すべきとされています。これは、効果がなかった場合でも元の状態に戻せる治療法を優先するという考え方です。主な治療法は以下の通りです。
1. スプリント療法(マウスピース治療)
スプリント療法は顎関節症の最も一般的な治療法の一つです。これは、歯列に装着するプラスチック製の装置(マウスピース)を使用する方法で、以下の効果が期待できます。
- 夜間の歯ぎしりや食いしばりによる顎への負担軽減
- 顎関節の正しい位置への誘導
- 咀嚼筋の過緊張の緩和
- 関節への負荷の分散
特に就寝時に装着することで無意識の歯ぎしりからの保護効果が高まります。スプリントの種類には、上顎全体を覆うミシガン型や、前歯部のみに接触する前方整位型などがあり、症状や原因に応じて適切なものが選択されます。
2. 薬物療法
症状の緩和を目的として、以下の薬剤が使用されることがあります。
- 消炎鎮痛薬:関節や筋肉の痛みや炎症を抑制します
- 筋弛緩薬:咀嚼筋の過緊張を緩和します
- 抗不安薬:ストレスや緊張に由来する症状の軽減に効果があります(必要に応じて)
薬物療法は通常、他の治療法と併用して行われ、症状の急性期に特に有効です。ただし、長期的な使用は避け、根本的な原因に対する治療も並行して行うことが重要です。
3. 理学療法
理学療法は大きく分けて物理療法と運動療法の二つに分類されます。
【物理療法】
- 温熱療法:温かいタオルや湿布を顎関節部に当て、血流改善と筋肉の緩和を促します
- 超音波療法:超音波による組織の温熱効果で深部の筋肉を緩和します
- 低周波療法:電気刺激により筋肉の緊張を緩和します
- レーザー療法:近赤外線レーザーの照射により組織の修復を促進します
【運動療法】
- 開口訓練:顎の動きを制限している筋肉をストレッチし、徐々に開口量を増やします
- 顎関節の自己整復訓練:関節円板の整復を促す特殊な運動を行います
- 筋機能訓練:顎の筋肉のバランスを改善する訓練を行います
4. 行動療法・生活指導
顎関節症の多くはTCH(歯列接触癖)や悪習慣に関連しているため、以下の行動修正が推奨されます。
- TCHの自覚と修正:無意識の歯の接触を意識的に避ける訓練
- 姿勢の改善:猫背や前傾姿勢の修正、頬杖をつかない習慣づけ
- 食習慣の改善:硬い食べ物を避ける、両側均等に咀嚼する
- ストレス管理:リラクゼーション技法の習得、適度な運動
5. 外科療法
保存的治療で効果が得られない重度の顎関節症には、以下のような外科的治療が検討されることがあります。
- 関節腔洗浄療法:関節腔内に生理食塩水を注入し、炎症性物質を洗い流します
- 関節鏡視下手術:内視鏡を用いた低侵襲手術で、関節円板の整復や癒着剥離を行います
- 開放手術:重度の関節円板損傷や骨変形に対して行われます
重要なのは、日本顎関節学会の診療ガイドラインでも示されているように、「咬合調整(歯を削って噛み合わせを調整する処置)」は効果が認められておらず、行うべきではないとされている点です。不可逆的な治療は慎重に検討すべきであり、専門医の判断を仰ぐことが重要です。
顎関節症のセルフケアとストレッチで痛みを緩和
顎関節症の治療において、医療機関での治療と並行して行うセルフケアは非常に重要です。適切なセルフケアは症状の緩和と再発予防に効果的です。以下に、医療従事者が患者さんに指導できる実践的なセルフケア方法を紹介します。
【基本的な生活習慣の改善】
- 顎の休息:意識的に上下の歯を接触させず、「リップス・アパート(唇は合わせて歯は離す)」の状態を保つよう指導します。特に集中作業時や運転時などにTCH(歯列接触癖)が発生しやすいため、定期的に自己チェックすることが有効です。
- 食事の工夫:急性期には柔らかい食べ物を選び、大きく口を開ける必要がある食べ物(大きなハンバーガーやりんごの丸かじりなど)を避けるよう指導します。また、両側均等に咀嚼する習慣をつけることも重要です。
- 姿勢の意識:デスクワークが多い患者さんには、正しい姿勢を保つことの重要性を説明します。特にスマートフォンの使用時には、首を前に出しすぎないよう注意を促します。
- 睡眠環境の整備:うつ伏せ寝や横向き寝は顎に負担をかけるため、仰向けでの睡眠を推奨します。また、適切な枕の使用も重要です。
【効果的なストレッチと運動療法】
- 開口ストレッチ
開口ストレッチは顎関節症の代表的なセルフケア法です。以下の手順で行います。
手順。
① こめかみに指を軽く当てます
② 顎をゆっくりと右に動かし、2〜3秒キープします
③ 次に左に動かし、同様にキープします
④ 前に突き出し、キープします
⑤ 痛みのない範囲で口をゆっくり開けます
⑥ これを1セット10回として、1日3〜5セット行います
このストレッチは入浴後など筋肉が温まっている時に行うと効果的です。痛みを感じる場合は無理をせず、可能な範囲で行うよう指導します。
- 筋肉マッサージ
咀嚼筋のマッサージは筋緊張の緩和に有効です。
方法。
① 咬筋(耳の下から頬骨にかけての部分)に人差し指と中指を当てます
② 円を描くように優しくマッサージします
③ 同様に側頭筋(こめかみ付近)もマッサージします
④ 「痛気持ち良い」程度の圧で1分程度行います
- 温熱療法
温かいタオルや市販の温熱パックを利用した温熱療法も効果的です。
方法。
① 蒸しタオルや温熱パックを準備します
② 顎関節部や咬筋部に10〜15分程度当てます
③ 1日2〜3回行います
【ストレス管理】
ストレスは顎関節症の重要な誘因であるため、効果的なストレス管理法を指導することも重要です。
- 呼吸法:腹式呼吸や4-7-8呼吸法(4秒間吸って、7秒間息を止め、8秒間かけて吐き出す)などのリラクセーション呼吸法を練習します。
- マインドフルネス:日常の中で「今この瞬間」に意識を向ける習慣が、無意識の歯の接触や食いしばりの自覚にも役立ちます。
- 適度な運動:ウォーキングやヨガなどの適度な全身運動は、ストレスホルモンの低減と筋肉の緊張緩和に効果的です。
【セルフモニタリング】
患者さん自身が症状の変化を記録することも有効です。以下のような項目を記録するよう指導します。
- 痛みのレベル(0〜10のスケール)
- 最大開口量(指何本分開くか)
- TCHに気づいた回数
- ストレスレベル
- 行ったセルフケアの内容
このセルフモニタリングは、治療効果の確認だけでなく、症状と生活習慣の関連性の気づきにもつながります。
最近の研究では、スマートフォンアプリを活用したセルフモニタリングと行動修正プログラムの効果も報告されています。これらのテクノロジーを活用することで、より効果的なセルフケアが可能になるでしょう。
顎関節症のセルフケアは、単に症状を緩和するだけでなく、患者さん自身が疾患と向き合い、生活習慣を見直す機会にもなります。医療従事者は、患者さんの生活背景を理解し、実行可能な範囲でのセルフケアプランを提案することが重要です。