がん細胞は正常細胞と比較して糖分を10〜15倍多く取り込む特徴があります。PET-CT検査でがん組織が光って見えるのも、この異常な糖代謝によるものです。一方で、がん細胞はケトン体を効率的にエネルギー源として利用できないため、ケトン食療法によってエネルギー供給を制限することが可能となります。
具体的なメカニズムとして、ケトン食では炭水化物を制限し脂肪摂取量を増やすことで、体内のエネルギー源を糖からケトン体へとシフトさせます。このケトン体は肝臓を除く正常な組織では利用されますが、がん組織では利用されにくいという特性があります。
さらに、ケトン食療法は細胞の酸化ストレスを増加させ、がん細胞に対するアポトーシス(細胞死)を誘導する可能性も報告されています。これにより、がん細胞の生存と増殖が制約されると考えられています。
最新の研究では、ケトン食または主要ケトン体である3-ヒドロキシ酪酸(3HB)がT細胞依存的な腫瘍増殖抑制を誘導することが明らかになりました。特に注目すべきは、通常の食事ではPD-1阻害剤やCTLA-4阻害剤が効果を示さない症例において、ケトン食や3HBの経口補給により治療効果が回復したという点です。
間歇的なスケジュールでのケトン食実施が最も効果的であることも判明しており、継続的な実施よりも治療効果が高いことが報告されています。この免疫機能強化メカニズムにより、免疫チェックポイント阻害剤との併用療法において相乗効果が期待されています。
外因性ケトンエステル(KE)を用いた動物実験では、乳がんと腎がんモデルにおいて腫瘍増殖の抑制と肺への転移拡散の減少が確認されました。特に興味深いことに、乳がんではWntとTGFβシグナル経路の下方制御が、腎腫瘍では低酸素とDNA損傷修復に関連する遺伝子の下方制御が観察され、がん種によって異なる作用メカニズムを示すことが明らかになっています。
ケトン体は直接的な抗炎症効果を有しており、免疫細胞であるマクロファージからの炎症性サイトカインの産生を抑制することが確認されています。炎症はがんの成長と広がりを促進する要因となるため、この抗炎症作用は非常に重要です。
炎症の抑制は免疫機能の向上にも寄与します。炎症性サイトカインが抑制されることで、がんと戦う免疫機能が向上するのです。臨床的には、血中CRP値が正常範囲内にあることで、ケトン体が正常に作用し全身の炎症が抑制されていることを確認できます。
大阪大学の臨床研究では、ケトン食療法開始3ヶ月後の血清アルブミン値、血糖値、CRP値による評点(ABCスコア)を用いた患者層別化により、生存率に有意な差があることが明らかになりました。このスコアリングシステムは、ケトン食療法の効果予測指標として臨床応用されています。
中鎖脂肪酸油(MCT)は、ケトン食療法において重要な役割を果たしています。特に炭素数が8個の脂肪酸であるカプリル酸を多く含む油脂が使用されており、一般に炭素数が少ない中鎖脂肪酸ほどケトン体が産生されやすい特性があります。
MCTは長鎖脂肪酸油(LCT)と比較して、摂取後に速やかに消化・吸収され、その一部が肝臓でケトン体に変換されます。この迅速な代謝特性により、効率的なケトン体産生が可能となります。
大阪大学を中心とした「癌ケトン食治療コンソーシアム」では、MCTを含むフォーミュラ食品を使用した新しいケトン食療法を開発し、進行性がん患者を対象とした臨床研究を実施しました。55人の患者のうち、3ヶ月間ケトン食療法を実施した37人のデータ分析では、食事に関連する重篤な有害事象は観察されませんでした。
近年の研究で明らかになった興味深い発見として、β-ヒドロキシ酪酸が直腸がんの増殖を特異的に抑制するメカニズムがあります。この研究では、炭水化物を減らし脂肪を増やした食事により脂肪代謝を高めることで、ケトン体合成を促進させる食事療法の効果が検証されました。
β-ヒドロキシ酪酸は主にエピジェネティックなメカニズムを介して作用し、インフラマゾーム活性化やIL-17分泌を抑制することで炎症を抑える効果を示します。遺伝子導入による直腸がん発生モデルを用いた実験では、脂肪の割合が高いほどがんの増殖が抑制されることが確認されています。
この発見は、ケトン体ががん種特異的な作用メカニズムを有する可能性を示唆しており、個別化医療の観点からも重要な知見です。特に大腸直腸がんにおけるケトン食療法の臨床応用において、新たな治療戦略の開発に繋がる可能性があります。
さらに、膵臓がん患者においても、ケトン食療法のみで9ヶ月間病状を制御できた症例報告があり、がん種を超えた治療効果の可能性が示されています。これらの症例は、従来の治療法に加えて、栄養学的アプローチがいかに重要であるかを物語っています。
マウスを用いた大規模なメタ解析では、1,755個体の生存データを基にした研究で、ケトン食が膵臓がん、グリオーマ、頭頸部がん、胃がんにおいて有意な生存延長効果を示すことが確認されており、放射線治療や標的治療との併用により、さらに30%(放射線治療)または21%(標的治療)の生存延長効果が得られることが明らかになっています。