「30cmを切ったら転倒リスクあり」と判定して、実は患者を見逃しているかもしれません。
ファンクショナルリーチテスト(Functional Reach Test:以下FRT)は、1990年にDuncanらによって開発されたバランス評価ツールです。立位のまま肩関節を90度屈曲させた状態で、足を動かさずにできる限り前方へ手を伸ばした距離を測定します。測定に必要なのは物差しと壁と少しのテープだけで、準備5分以内・検査時間5分程度という手軽さから、病院・デイサービス・介護施設など幅広い現場で日常的に活用されています。
「カットオフ値」とは、病態を識別するための閾値のことです。つまり、ある測定値を基準に「転倒リスクあり」か「転倒リスクなし」かを分類する境界線になります。FRTのカットオフ値を正しく理解することは、転倒ハイリスク者を見落とさないためにも、不必要な過剰介入を避けるためにも重要です。
FRTの一般的な評価基準として広く知られているのは下表の通りです。
| 測定距離 | 転倒リスクの目安 |
|---|---|
| 20cm以下 | 非常に危険(高リスク) |
| 20〜25cm | 転倒リスクあり |
| 25〜30cm | 平均的なバランス能力 |
| 30cm以上 | 転倒リスクが低い |
これは全体的な目安です。ただしこの表はあくまで「参考値」であり、対象者の疾患や年齢、状態によって適切なカットオフ値は異なります。
また、年齢・性別による標準値も把握しておくと評価がより精緻になります。
| 年齢層 | 男性の平均値 | 女性の平均値 |
|---|---|---|
| 20〜40歳 | 約43cm | 約37cm |
| 41〜69歳 | 約38cm | 約35cm |
| 70〜87歳 | 約33cm | 約27cm |
70歳代女性の平均が約27cmであることは注目に値します。つまり「30cm以上なら転倒リスク低い」という目安を使うと、70代女性の平均的なバランス能力を持つ方でも「転倒リスクあり」と判定される可能性があります。一律基準の使いすぎに注意が必要です。
一般的な目安だけで判断するのは原則ではありません。対象者の背景に合わせた疾患別カットオフ値を参照することが、精度の高い評価につながります。
FRTのカットオフ値は、対象者の疾患や状態によって大きく異なることが複数の研究から報告されています。現場での評価精度を高めるために、代表的なカットオフ値を以下に整理します。
| 対象 | カットオフ値 | 感度 | 特異度 | 根拠文献 |
|---|---|---|---|---|
| 地域在住高齢者 | 20.32cm未満 | 0.73 | 0.88 | Omaña et al., Phys Ther 2021 |
| 虚弱高齢者 | 18.5cm未満 | 0.75 | 0.67 | Thomas et al., Arch Phys Med Rehabil 2005 |
| 脳卒中片麻痺患者 | 15cm未満 | — | — | Acar & Karats, Gait Posture 2010 |
| 慢性期脳卒中患者(転倒予測) | 18.15cm未満 | 0.76 | 0.56 | Alenazi et al., PM&R 2018 |
| パーキンソン病患者 | 31.75cm未満 | 0.86 | 0.52 | Dibble & Lange, J Neurol Phys Ther 2006 |
特に注目すべきは、パーキンソン病患者の31.75cmというカットオフ値です。このカットオフ値は「過去1年間に2回以上の転倒歴がある患者を識別するための値」として報告されており、感度0.86と高い転倒予測精度を示しています。つまりパーキンソン病の方の場合、一般的な目安の「30cm以上なら低リスク」という感覚で評価していると、転倒ハイリスク者を見落とすことになります。
パーキンソン病が原則です。31.75cmという数値が鍵になります。
一方、脳卒中の慢性期患者については42週間の追跡期間中の転倒を予測するカットオフ値が18.15cmと報告されており(感度0.76、特異度0.56)、急性期・亜急性期のデータとは異なります。脳卒中患者への評価では「どの病期の患者か」によっても基準値の解釈が変わります。これは使えそうです。
また、Modified Functional Reach Test(MFRT:椅子座位で測定する改良版)については、歩行自立のカットオフ値が26.0cmと報告されており、感度92.1%・特異度84.9%と非常に高い精度を示しています(森尾ら、2007)。立位が不安定な方への評価の選択肢として、MFRTも積極的に活用する価値があります。
参考リンク(疾患別カットオフ値と研究の詳細を掲載)。
理学療法で用いる評価の方法と結果の妥当性 バランス④ FRT|rehaon.com(理学療法士執筆・監修)
臨床現場で「FRTのカットオフ値は15cm」と広く使われていますが、この数値の根拠について重要な注意点があります。
この15cmという値は、Duncan らの1992年の研究に由来しています。しかし、その研究は被験者をFRTの結果で「0インチ」「6インチ以下」「6〜10インチ」「10インチ以上」の4グループに分類した研究であり、転倒リスクのカットオフ値を算出することを目的とした研究ではありませんでした。6インチ=約15.24cmであることから、これがいつの間にか「15cmがカットオフ値」として流通するようになったと考えられています。
つまり、「15cm未満=転倒リスク高」というのはカットオフ値を算出する目的のエビデンスではないということです。
さらに、研究によってはFRTの転倒群と非転倒群の間で測定値に有意差を認めなかったという報告も存在します。FRTは動的バランスの「一側面」を捉える評価であり、転倒リスクを多角的に評価する手段の一つとして位置づけることが適切です。
では、「15cm未満」という値をどう扱えばよいのでしょうか?
一般的な地域在住高齢者において、より信頼性の高い研究が示すカットオフ値は20.32cm(感度0.73、特異度0.88)であり、これは「特異度0.88」という点で転倒リスクを否定する際の精度が高いことを示しています。15cmより高い基準値を使うことで、転倒リスクの見落としを減らせる可能性があります。
15cmは参考値として把握しつつ、対象者の疾患・年齢・生活環境に合ったカットオフ値を使うことが原則です。感度と特異度のバランスを踏まえた判断が、より質の高い評価につながります。
参考リンク(根拠研究の詳細・原著解説)。
カットオフ値を正しく活用するためには、測定方法の標準化が前提条件です。測定手順がわずかにずれるだけで、結果が数センチ変わることがあります。ここでは測定誤差を生みやすいポイントを整理します。
【FRT測定の基本手順 🔎】
測定結果に影響する主な要因は次のとおりです。
①開脚の程度: 原著では「いつも通りに楽な姿勢」と記載されていますが、開脚幅が広いほどリーチ距離が大きくなる傾向があります。再評価の際は足の位置を毎回同じにすることが求められます。
②体幹回旋の許容: 体幹を回旋させると、重心の前方移動距離以上に手が前方へ出ます。原著には明記がなく、文献によって解釈が異なります。「バランス能力の余裕を測る」という目的から考えると、体幹回旋を制限する方が本来の測定趣旨に近いと言われています。
③重心の初期位置: 測定開始時に体幹をやや後傾した姿勢から始めると、結果が大きくなります。再評価のたびに初期姿勢を統一することが、測定の信頼性を保つ条件です。
④踵挙上の有無: 支持基底面を変えないことが原則なので、踵挙上は認めないと解釈するのが妥当とされています。ただし厳密な判断は難しく、測定者間で認識をそろえておく必要があります。
測定方法の統一が条件です。カットオフ値による判断を有意義にするためにも、施設内でプロトコルを共有しておくことが重要です。
参考リンク(測定方法の詳細と原著の解説)。
FRTはバランス評価だけでなく、介入前後の「効果判定ツール」としても活用できます。しかしここで見落とされがちな重要な概念が「MDC(Minimal Detectable Change:最小可検変化量)」です。
MDCとは、測定誤差を超えた「本当に意味のある変化」と判断できる最小の変化量のことです。MDC以内の変化は測定誤差の範囲であり、介入の効果が出たとは言えません。これを把握せずに「1か月で3cm改善した」と判断すると、実際には誤差の範囲内の変化を「効果あり」と誤認するリスクがあります。
FRTのMDCについて報告されている主な値は次の通りです。
| 対象 | MDCの値 | 根拠文献 |
|---|---|---|
| 認知機能障害なし高齢者 | 8.2cm | Ferreira et al., Ir J Med Sci 2021 |
| 認知機能障害あり高齢者 | 6.35cm | 同上 |
| パーキンソン病患者(前方) | 9cm | Steffen et al., Phys Ther 2008 |
| パーキンソン病患者(後方) | 7cm | 同上 |
| 多発性硬化症患者 | 8.28cm | Soke et al., Physiother Theory Pract 2022 |
たとえば、認知機能障害のない高齢者でMDCが8.2cmという事実は、非常に重要です。はがき一枚の幅(約14.8cm)の半分強を超える変化がなければ、「本当に改善した」とは言いきれないことを意味します。3〜4cmの改善を「リハビリの成果」として記録していた場合、見直しが必要になるケースがあります。
MDC以上の変化かどうかが条件です。
臨床でFRTを効果判定に使う場合は、以下のフローを意識することが有用です。
FRTを単なる「転倒スクリーニング」としてではなく、介入の質を測るアウトカム指標として活用するためには、MDCと組み合わせた運用が欠かせません。
参考リンク(MDCの詳細と臨床応用の解説)。
理学療法で用いる評価の方法と結果の妥当性 バランス④ FRT|rehaon.com
FRTは簡便で有用な評価ツールである一方、バランスの「一側面」しか捉えられないという限界があります。実際に転倒群と非転倒群の間でFRTの値に有意差を認めなかった研究も報告されており、単独での転倒リスク判定には限界があります。
転倒リスクを多角的・正確に評価するためには、FRTと他の評価指標を組み合わせることが重要です。
【転倒リスク評価ツールの比較 ⚖️】
| 評価ツール | カットオフ値 | 特徴 |
|---|---|---|
| FRT | 疾患別に異なる(15〜31.75cm) | 動的前方バランスの余裕を測定。簡便で道具が少ない |
| TUGテスト | 13.5秒以上で転倒リスク高 | 歩行・起立・方向転換を含む総合的な動的バランスを評価 |
| 片脚立位(開眼) | 15秒未満で運動器不安定症リスク高 | 静的バランスの評価。準備なしで即時実施可能 |
| Berg Balance Scale(BBS) | 45点以下で転倒リスク高 | 14項目の包括的バランス評価。時間は20分程度かかる |
| Modified FRT(座位版) | 26cm未満で歩行非自立リスク高 | 立位困難な重度障害者にも適応可能 |
FRTは前方リーチというバランスの一方向しか測定しません。転倒は後方への重心移動や側方へのバランス崩れでも生じます。そのためTUGテスト(歩行・方向転換含む)やBBSと組み合わせることで、多方向のバランス能力を網羅した評価が可能になります。
組み合わせが基本です。
また、近年注目されているのが「閉眼FRT(EC-FRT)」です。地域在住高齢者101名を対象とした研究では、閉眼FRTのカットオフ値は25.5cmと報告されており、開眼FRTよりも加齢に伴うバランス低下を鋭敏に反映し、転倒リスクの識別精度が高いとされています。前庭機能・固有感覚依存のバランス能力を評価したい場面での活用が期待されます。
どの評価ツールを選ぶかは「何を目的に評価するか」によって変わります。スクリーニング目的なら手軽なFRTや片脚立位、介入前後の効果判定や退院時評価には複数の評価を組み合わせることが理想です。FRTのカットオフ値を正確に読み解く能力は、チーム全体の転倒予防の質に直結します。
参考リンク(転倒リスク評価ツールの比較と使い分け)。
ファンクショナルリーチテスト(FRT)の目的と評価方法・カットオフ値|リハブクラウド