クロロキン事件 概要 薬害 訴訟 判決

クロロキン事件の経緯、網膜症の医学的ポイント、訴訟と判決の論点、医療現場が得る教訓を医療従事者向けに整理します。いま同種のリスクをどう見抜き、どう防ぐべきでしょうか?

クロロキン事件 概要

クロロキン事件 概要
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何が起きたか

抗マラリア薬クロロキンが日本で慢性疾患へ適応拡大され、長期投与により「クロロキン網膜症(視野狭窄〜失明)」が社会問題化し、薬害訴訟へ発展した。

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医療者が押さえる要点

副作用は個人差が大きく不可逆になり得るため、投与設計(適応・期間・用量)と定期眼科検査、情報提供、早期中止判断が鍵になる。

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訴訟の争点

製薬企業・医師・国(厚生大臣)の責任が問われ、最高裁では「規制権限不行使の違法性」判断枠組みが示された。

クロロキン事件 概要 経緯 薬害


クロロキンは1934年に合成され、当初は毒性が強いとして開発が中止された一方、1943年に米国で「短期間の投与に限って」使用が始まったとされています。
日本では1955年に抗マラリア薬として承認された後、1958年に腎炎へ適応拡大し、さらに慢性関節リウマチ気管支喘息・てんかんへと適応が広がりました。
そして1961年、慢性腎炎の特効薬として大量販売が進む過程で、クロロキン網膜症が発生・拡大していったことが、事件の中心的な経緯です。
ここで医療従事者として注目すべきなのは、「薬そのものが危険だった」という単純な話ではなく、短期使用を前提とした薬が、科学的裏付けが十分でないまま慢性疾患へ“長期投与型”に転用され、曝露構造が変質した点です。


参考)https://brill.com/view/journals/bsms/1/1/article-p275_275.xml

この構造は、後年の他の薬害(適応拡大、市販後監視の遅れ、情報提供の不足)でも繰り返し見られるため、クロロキン事件を“歴史”として閉じず、現在の処方設計に引き直して理解する価値があります。

また当時は、いまの感覚でいう「医療用医薬品と一般用医薬品の区別」が未成熟で、成分や適用によっては一般用として広く販売され広告も自由だった、という制度背景も指摘されています。

この点は、患者が医療機関の外で情報に接しやすい(=誤解も増える)環境とセットで副作用被害が広がり得る、という教訓として読み替えられます。

クロロキン事件 概要 網膜症 視野 失明

クロロキン網膜症はクロロキン製剤により発症し、視力低下や視野狭窄を来し、最悪の場合は失明に至ることがあると整理されています。
また症状の発生や進行には個人差があることも明確に述べられており、画一的な「安全な投与期間」だけで運用する危うさが示唆されます。
重要なのは、不可逆性です。米国では1962年、FDAがクロロキンの有害作用(網膜症)の警告文書配布と、添付文書改訂の指示を行い、表現を「大部分非可逆」から「事実上非可逆」へ改めるなど、警戒を強めた経緯が紹介されています。

さらに同じ流れの中で、眼科的検査について「3か月ごとに最低スリットランプ、視野、眼底検査が必要」とする方向へ注意喚起が具体化していった点も、臨床現場の実装に直結します。

現代の医療安全の観点で言い換えると、「副作用が疑われたら検査する」では遅く、長期投与を選択した時点で“モニタリング計画”を処方と同時に発行する、という発想が必要になります。

特に、患者の訴え(見え方の変化)だけに依存すると検出が遅れやすいので、定期検査をルーチン化し、結果に基づく中止基準・相談導線をチーム内で共有する運用が要点になります。

クロロキン事件 概要 訴訟 判決 国賠

クロロキン事件は、患者が被害回復を求めて交渉するもまとまらず訴訟になった、という流れで整理されています。
第一審(東京地裁 昭和57年2月1日判決)では、製薬会社の過失責任を認め損害賠償を認めたこと、輸入業者にも同等の義務違反を認めたこと、医師にも予見可能性と義務があったと整理されています。
同判決では、厚生大臣にも(薬事法上の明文規定は欠くが)条理上、製造承認などを撤回する義務があったとされています。
控訴審(東京高裁 昭和63年3月11日)では、製薬会社・医師/医療機関の責任は認めつつ、国の責任は否定した、という判断枠組みが示されています。


参考)https://www.semanticscholar.org/paper/fba46ca1eb83f1a1cbc1559928aa1bea2ce4cb79

上告審(最高裁 平成7年6月23日 第二小法廷)では、厚生大臣の権限行使/不行使は裁量によること、不行使が国家賠償法上違法となるのは「著しく不合理である場合に限る」ことが述べられています。

加えて、当該医薬品がその副作用を考慮してもなお有用性を肯定し得る場合には、厚生大臣の行為は国賠法適用上の違法評価を受けない、という趣旨の判断が示されています。

医療者の実務に引き付けると、行政の責任が争点になるほどの薬害では、結局のところ現場の説明義務・予見可能性・モニタリング設計が、後から強く問われる構造があるということです。

「当時の標準」や「一般に行われていた」だけでは防御になりにくい局面があるため、ガイドライン・添付文書・注意喚起の更新をチームで追跡し、運用へ落とす仕組み(誰が、いつ、何を更新するか)が重要になります。


クロロキン事件 概要 添付文書 副作用 情報

クロロキン網膜症については、1959年にLancetで報告が掲載され、1961年には米国のPDRに副作用として記載された、という情報の流れが示されています。
さらに1962年、FDAが添付文書改訂を指示し、特異体質に帰す表現の中止や、発症時期の表現変更(「2〜3年」から「数か月〜数年」へ)など、リスクコミュニケーションをより現実に即した形へ修正させた点が重要です。
同時に、眼科検査の実施についても「望ましい」から「3か月ごとに最低限必要」へと踏み込んだ表現に改めさせたことが記載されています。
一方で日本では、1962年の時点で文献報告142例、アンケート調査353例の網膜症報告があり、1964年には日本リウマチ学会で集中討議も行われていたのに、安全対策に直ちに結びつかなかった、と述べられています。

そして1969年になって厚生省がようやく添付文書への記載を指示した、というタイムラグも示されています。

この「情報があるのに、現場へ落ちない」ギャップが、薬害を拡大させる実務上のボトルネックです。

医療機関内で実装するなら、次のような“情報の受け皿”が必要です(運用例)。

・📌 添付文書改訂・安全性速報を、薬剤部が受信→対象診療科へ配信→外来テンプレ(説明文・同意書・検査オーダーセット)を同時更新する。

・📌 長期投与薬は「開始時に検査を予約する」方式に寄せ、患者の自己申告を前提にしない(見え方の変化は主観差が大きい)。

・📌 代替薬の有無・中止時の病勢リスクも含めて説明し、「続ける利益」と「失明リスク」の比較を診療録に残す。

意外に見落とされがちなのは、当時の日本では“水陸両用”のように一般用としても広がり得た時代で、広告も自由だった、という背景です。

この背景は、患者が「薬は効くものだ」という期待を強めやすく、副作用を訴えにくい心理(治療を止めたくない、医師に迷惑をかけたくない)を増幅し得るため、現在でもSNS・広告・インフルエンサー情報が絡む薬剤で同型のリスクが起こり得ます。

クロロキン事件 概要 独自視点 教訓 再評価

クロロキン事件の教訓として、短期使用前提の薬が無原則的に適応拡大され、投与量・投与期間が増え、販売量や販売範囲も拡大することで薬害につながった、という構造がまとめられています。
また、承認申請に必要な資料や臨床試験の基準化は1967年の「医薬品の製造承認等の基本方針」通知以降に整備され、それ以前は対照群や統計解析など、現在では常識の科学性確保が十分に行われていなかったという指摘もあります。
ここから導ける独自視点は、「薬害は“悪い薬”だけでなく、“評価の設計ミス”と“適応拡大の速度”で起きる」という点です。

現代では治験・製造販売後調査・RMPなど枠組みは整っていますが、現場では適応外使用、ガイドライン改訂前の先行導入、海外データの解釈など、再び“評価の設計ミス”が入り込む余地があります。

医療従事者としては、①適応拡大の根拠の質(対照、症例数、エンドポイント)、②長期投与の安全性データの厚み、③モニタリング手順が「望ましい」止まりか「必須」まで落ちているか、の3点を、導入前にチェックリスト化するのが実務的です。

さらに、クロロキン事件が社会的に注目された要素として「担当課長が安全性情報を知り服用を中止したが、国としての安全対策を講じなかったことが裁判で問題となった」との記載があります。

この点は、個人のリスク回避と組織のリスク低減が分離してしまう危険を示します。医療現場でも、特定の医師・薬剤師だけがリスクを知っていて他職種へ展開されない状況は起こり得るため、チーム医療の中に「知っている人が動く」ではなく「知らない人でも回る」仕組みを埋め込む必要があります。

【参考リンク:クロロキン網膜症事件の経緯、添付文書改訂や当時の薬事制度背景、教訓(適応拡大と長期投与・科学性の不足)】
https://www.pmrj.jp/publications/02/pmdrs_column/pmdrs_column_115-50_07.pdf
【参考リンク:クロロキン薬害訴訟の争点整理(医師・企業・国の責任、最高裁の判断枠組み、和解金など)】
https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/lp_10/1/notes/ja/20110405_ijihou_case28.pdf




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