スクレロスチンは骨細胞から分泌される糖タンパク質であり、骨代謝において重要な調節因子として機能します。その主な作用機序は、Wnt(ウィント)シグナル伝達経路を阻害することにあります。この経路は骨芽細胞の活性化と分化に重要な役割を果たしており、スクレロスチンはこのシグナル伝達を抑制することで骨形成を抑え込みます。
具体的には、スクレロスチンはLRP5やLRP6といった共受容体に結合し、Wntシグナルの活性化を妨げます。これにより、以下の2つの作用が生じます。
スクレロスチンの発現レベルは様々な要因により調節されており、力学的負荷の減少(例:寝たきり状態)やエストロゲン減少などによって増加します。これが、不動状態や閉経後の女性で骨量減少が起こる一因となっています。
遺伝学的にもスクレロスチンの重要性は確認されており、スクレロスチン遺伝子(SOST)の機能喪失変異を持つ患者(硬結性骨化症やvan Buchem病)では、異常な骨形成増加と骨密度上昇が見られます。この観察が、スクレロスチンを標的とした治療法開発の理論的根拠となりました。
ロモソズマブ(商品名:イベニティ)は、スクレロスチンに特異的に結合するヒト化モノクローナル抗体です。この薬剤はスクレロスチンの機能を阻害することで、通常は抑制されている骨形成を活性化し、同時に骨吸収を抑制するという二重の効果(デュアル・エフェクト)を発揮します。
骨粗鬆症治療薬としての特徴は以下の点にあります。
ロモソズマブの作用により、骨密度は投与開始から比較的早期に増加し始め、特に海綿骨だけでなく皮質骨の密度も向上させることが確認されています。この効果は従来の骨吸収抑制剤とは異なり、積極的に骨形成を促進する点が大きな特徴です。
投与中止後は骨密度が急速に低下するため、ビスホスホネート製剤などによる後療法が不可欠とされています。これは臨床試験でも実証されており、ロモソズマブ投与後にアレンドロネートやデノスマブなどの骨吸収抑制剤に切り替えることで、獲得した骨密度を維持できることが示されています。
ロモソズマブの臨床効果を示す主要なエビデンスとして、2つの大規模第Ⅲ相臨床試験があります:FRAME試験とARCH試験です。これらの試験結果から、ロモソズマブの骨折予防効果について詳細な情報が得られています。
FRAME試験は閉経後骨粗鬆症女性7,180名を対象とした国際共同試験で、1年間のロモソズマブまたはプラセボ投与後、両群ともにデノスマブを1年間投与する設計でした。結果として、以下の効果が確認されました。
ARCH試験では、より重症度の高い骨粗鬆症患者4,093名を対象に、ロモソズマブとアレンドロネートを直接比較しました。12ヶ月間のロモソズマブまたはアレンドロネート投与後、両群ともにアレンドロネートを継続する設計でした。結果は以下の通りです。
特筆すべき点として、ARCH試験ではビスホスホネート製剤との直接比較で明確な優位性を示したことが挙げられます。これは骨粗鬆症治療薬としては画期的な結果と言えるでしょう。
ロモソズマブの主な副作用としては、以下が報告されています。
重大な副作用としては、以下が添付文書に記載されています。
特に注目すべき点は、心血管系事象のリスク増加の可能性です。ARCH試験において、ロモソズマブ群でアレンドロネート群と比較して重篤な心血管系有害事象(虚血性心疾患や脳血管障害など)が多く報告されました(2.5% vs 1.9%)。
一方、より大規模なFRAME試験(プラセボ対照)ではこのような傾向は認められませんでした。この矛盾する結果については、以下の3つの見解が存在します。
現在の日本の添付文書では、以下のような注意喚起がなされています。
日本での市販後、死亡例を含む重篤な心血管疾患が短期間に11例報告されたことから、2019年7月に適正使用を喚起する通知が発出されています。
スクレロスチンは主に骨組織で発現していますが、実は血管組織や他の組織でも存在が確認されています。特に注目すべきは、大動脈および血管の石灰化巣においてもスクレロスチンの発現が確認されている点です。
理論的には、スクレロスチンの阻害は血管の石灰化を促進または悪化させる可能性が懸念されています。これが前述の心血管系リスクの生物学的な基盤となっている可能性があります。しかし興味深いことに、スクレロスチン遺伝子の機能欠損を持つ硬結性骨化症やvan Buchem病の患者において、血管石灰化や心血管疾患の早期発症増加は報告されていません。
また、スクレロスチンと糖代謝の関連も研究されています。スクレロスチンはオステオカルシンを介して間接的にグルコース代謝に影響する可能性が示唆されています。しかし、現時点ではロモソズマブ投与による糖代謝への明確な影響は報告されていません。
関節の健康に関しては、スクレロスチンは関節軟骨や変形性関節症の病態にも関与している可能性が報告されています。スクレロスチンの欠損やWntシグナルの過剰活性化は、関節軟骨の恒常性維持に悪影響を及ぼす可能性があるため、長期的な影響については今後の研究が必要です。
非臨床試験では、ロモソズマブ投与がラットやサルの長期毒性試験において関節軟骨や自然発症変形性関節症に対して悪影響を示さなかったことが確認されています。しかし、臨床での長期的な影響については、さらなるデータの蓄積が必要でしょう。
ロモソズマブ(イベニティ)は優れた骨折予防効果を示す一方で、心血管系リスクの懸念から、すべての骨粗鬆症患者に適応されるわけではありません。臨床現場での適切な患者選択が極めて重要です。
最適な候補患者としては、以下のような高リスク骨粗鬆症患者が考えられます。
投与を避けるべき患者。
治療プロトコールとしては、ロモソズマブを12か月間投与した後、必ず後療法としてビスホスホネート製剤やデノスマブなどの骨吸収抑制薬に切り替えることが推奨されています。これにより、獲得した骨密度を維持し、長期的な骨折予防効果を期待できます。
また、ロモソズマブ投与中はカルシウムとビタミンDの十分な補給が必須とされています。臨床試験でも、これらの基礎治療薬の併用が標準的に行われました。
患者への説明と同意取得も重要です。心血管系リスクについて適切に情報提供し、虚血性心疾患や脳血管障害の徴候や症状が現れた場合には速やかに医療機関を受診するよう指導することが推奨されています。
薬剤費用も考慮すべき点です。イベニティの薬価は1回あたり約25,000円(2022年10月時点)と高額なため、医療経済的な観点からも適応を慎重に判断する必要があります。
ロモソズマブの詳細な薬理作用について(日本薬理学会誌の論文)
骨折治癒に関しては、ラットやサルでの前臨床研究で骨折治癒促進効果が示唆されていますが、臨床におけるエビデンスはまだ限られています。特に高齢者の骨折回復期間短縮に寄与する可能性があり、今後の研究が期待されています。
ロモソズマブは日本では2019年1月に製造販売承認され、同年3月から臨床使用が開始されました。現在も市販後調査が継続されており、長期的な安全性と有効性に関するデータが蓄積されつつあります。
PMDAによるロモソズマブの審査報告書(薬理作用の詳細情報)
臨床実践では、骨粗鬆症の重症度、骨折リスク、心血管系リスク、費用対効果などを総合的に評価し、個々の患者に最適な治療法を選択することが重要です。ロモソズマブは従来の治療で十分な効果が得られない、または早急な骨密度改善が必要な高リスク患者に特に有用な選択肢と考えられます。