薬物動態学(Pharmacokinetics, PK)は、薬物が生体内でどのような動きをするかを科学的に研究する学問です 。具体的には、薬物の吸収(Absorption)、分布(Distribution)、代謝(Metabolism)、排泄(Excretion)の4つのプロセスを総称したADME過程を通じて、薬物の体内動態を解析します 。
参考)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E7%89%A9%E5%8B%95%E6%85%8B%E5%AD%A6
ADME過程における吸収は、薬物が投与部位から循環血液中に移行する過程を指します 。薬物は投与経路に応じて異なる吸収機構を示し、脂溶性物質は細胞膜を容易に通過する一方、水溶性物質には特定の担体が必要となります 。分布は血液中の薬物が各組織に移行する過程で、分布容積という指標で評価されます 。
代謝過程では、薬物は主に肝臓で酵素による生体変換を受けます 。この過程で薬物は活性代謝物や不活性代謝物に変換され、薬効や毒性が変化することがあります 。最終的に薬物とその代謝物は、主に腎臓から尿として、または肝臓から胆汁を経て便として排泄されます 。
参考)https://www.msdconnect.jp/products/lagevrio/info/pk02/
薬物動態学では数学的なモデルを用いて薬物の体内動態を定量的に解析します 。最も基本的な1コンパートメントモデルでは、身体を一つの均一な区画として扱い、分布容積(Vd)とクリアランス(CL)を基本パラメータとして薬物濃度の時間変化を予測します 。
参考)https://jstdm.jp/yogo/basic_knowledge.html
クリアランスは単位時間あたりに薬物が除去される血漿の仮想的な容積を表し、薬物消失速度を血漿中薬物濃度で除した値として定義されます 。消失半減期(t1/2)は0.693をクリアランスで除した値で算出され、薬物が半分まで減少するのに要する時間を示します 。
参考)https://www.msdmanuals.com/ja-jp/professional/multimedia/table/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%96%AC%E7%89%A9%E5%8B%95%E6%85%8B%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%92%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%99%E3%82%8B%E5%85%AC%E5%BC%8F
定常状態の概念も重要で、連続投与時には約4〜5半減期で血中濃度が一定レベルに達します 。このとき、投与速度と消失速度が平衡状態になり、定常状態血中濃度(Css)は投与速度をクリアランスで除した値で求められます 。これらのパラメータは薬物の投与計画立案において重要な指標となります。
参考)https://www.medisere.co.jp/mediserebook/pdf/read6.pdf
治療薬物モニタリング(TDM)は、薬物動態学の原理を臨床に応用した重要な手法です 。患者の血中薬物濃度を測定し、薬物動態学的解析に基づいて最適な投与量や投与法を設定することで、個々の患者に適した薬物療法を実現します 。
参考)https://www.pharm.or.jp/words/word00388.html
TDMが有効とされるのは、治療有効域が狭い薬物や中毒域と有効域が接近している薬物です 。例えば、バンコマイシンでは最低血中濃度が5〜15μg/mLが有効血中濃度とされ、15〜20μg/mL以上では腎機能障害などの副作用リスクが高まります 。
TDMでは薬物体内動態の把握、適正量の投与、多剤併用の可否判断、副作用の早期発見、服薬コンプライアンスの確認などが可能になります 。特に高齢者や腎機能低下患者では、薬物クリアランスの変動が大きいため、TDMによる個別化投与がより重要となります 。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11900651/
薬物動態学と薬力学を統合したPK-PD理論は、特に抗菌薬治療において革新的な進歩をもたらしました 。PK-PDパラメータには、最高血中濃度とMIC(最小発育阻止濃度)の比であるCmax/MIC、濃度時間曲線下面積とMICの比であるAUC/MIC、血中濃度がMICを超えている時間の割合である%T>MICがあります 。
参考)https://www.radionikkei.jp/kansenshotoday/__a__/kansenshotoday_pdf/kansenshotoday-120104.pdf
抗菌薬は作用機序により濃度依存性と時間依存性に分類されます 。濃度依存性抗菌薬であるキノロン系では、Cmax/MICやAUC/MICが重要な指標となり、レボフロキサシンでは従来の1日3回投与から1日1回大量投与に変更することで効果を最大化し、耐性菌の出現も抑制できるようになりました 。
参考)https://pharmacista.jp/contents/skillup/academic_info/pharmacokinetics/673/
時間依存性抗菌薬であるβ-ラクタム系では、%T>MICが重要な指標です 。ペニシリン系薬では%T>MICが30%以上で増殖抑制、50%で最大殺菌作用を示し、セフェム系薬では40%以上で増殖抑制、60〜70%で最大殺菌作用を発揮します 。このようなPK-PD理論の応用により、科学的根拠に基づいた抗菌薬の投与設計が可能となっています。
近年、薬物動態学の分野では人工知能(AI)技術の活用が急速に進んでいます 。従来の経験的な回帰モデルに代わり、グラフニューラルネットワーク(GNN)やトランスフォーマーなどの最新AIモデルが、薬物動態予測の精度向上に大きく貢献しています 。
参考)https://pharmailab.net/%E8%96%AC%E7%89%A9%E5%8B%95%E6%85%8B%E5%AD%A6%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8Bai%E3%81%AE%E5%88%A9%E6%B4%BB%E7%94%A8%EF%BC%9A%E5%89%B5%E8%96%AC%E3%81%A8%E5%80%8B%E5%88%A5%E5%8C%96%E5%8C%BB%E7%99%82/
特にGNNは分子構造の特徴を直接処理できるため、複雑な分子のADME特性推定において優れた性能を発揮します 。化合物構造から腸管吸収性(バイオアベイラビリティ)、細胞膜透過性、血漿タンパク結合率、分布容積、肝代謝クリアランスなどの重要なパラメータを高精度で予測できるようになりました 。
参考)https://note.com/pharma_insight/n/n7f9893c79322
生理学的薬物動態(PBPK)モデリングにおいても、AI技術の導入により個人間変動を考慮したモンテカルロシミュレーションが可能となっています 。これにより、仮想的な被験者集団を生成し、薬物の血中・組織内濃度推移、薬効、副作用の発生頻度を予測することで、臨床試験の設計最適化や新薬開発の効率化が実現されています 。
参考)https://www.apstj.jp/wp/wp-content/uploads/2021/09/80-6_young_researcher_toshomoto.pdf