インスリン抵抗性とは、膵臓から十分なインスリンが分泌されているにもかかわらず、筋肉や肝臓などの細胞がインスリンに対して適切に反応しない状態を指します。通常、インスリンは血中のブドウ糖を細胞内に取り込む役割を担っていますが、インスリン抵抗性が生じると、細胞がインスリンの指令に反応しにくくなり、結果として血糖値が上昇します。
インスリン抵抗性の主な原因は内臓脂肪型肥満です。内臓脂肪が過剰に蓄積すると、脂肪細胞から放出されるアディポカインという生理活性物質の種類や量が変化し、インスリンの働きを妨げます。特に、肥満状態では炎症性サイトカインの産生が増加し、インスリンシグナル伝達経路を阻害することが明らかになっています。
最新の研究では、プログラニュリン(PGRN)というタンパク質がインスリン抵抗性の発症に関与していることが示されています。PGRNは高脂肪食を摂取したマウスの脂肪組織で発現が増加し、インターロイキン6を介してインスリンシグナルを障害することが確認されています。このPGRNをノックアウトしたマウスでは、高脂肪食による肥満やインスリン抵抗性が抑制されることも分かっています。
その他のインスリン抵抗性の原因としては、加齢、運動不足、ストレス、遺伝的要因なども挙げられます。特に加齢に伴い、65歳以上の成人では最大3分の1に耐糖能異常が見られるというデータもあります。これは加齢による内臓脂肪・腹部脂肪の蓄積増加や筋肉量の減少が関係しています。
インスリン抵抗性自体は無症状であることが多く、初期段階では気づかれにくいという特徴があります。しかし、状態が進行すると以下のような症状が現れることがあります。
診断には、以下の検査が一般的に用いられます。
興味深いことに、最近の研究では、痩せていても食後高血糖を示す若年女性が多いことが明らかになっています。これは見た目の体型だけでなく、体内の代謝状態を注意深く評価する必要性を示唆しています。
インスリン抵抗性の治療の基本は、食事療法と運動療法です。これらの生活習慣の改善だけで、多くの場合インスリン感受性を大幅に向上させることが可能です。
食事療法では、以下のポイントが重要です。
運動療法については、以下のような取り組みが効果的です。
最近の研究では、アカシアポリフェノールが中性脂肪の取り込みを抑制し、脂肪のエネルギー燃焼を促進する作用があることが確認されています。こうした機能性成分を食事に取り入れることも、インスリン抵抗性改善に役立つ可能性があります。
生活習慣の改善だけでは十分な効果が得られない場合、薬物療法が検討されます。インスリン抵抗性に対する主な薬剤には以下のようなものがあります。
1. チアゾリジン誘導体(TZD)
インスリン抵抗性を直接改善する薬剤で、PPARγ(ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ)に作用します。骨格筋および肝臓におけるインスリン抵抗性を改善し、インスリンの効果を高めます。代表的な薬剤にはピオグリタゾン(アクトス)があります。しかし、浮腫や体重増加、骨折リスクの上昇などの副作用に注意が必要です。
2. ビグアナイド剤
肝臓でのブドウ糖産生を抑制し、筋肉でのブドウ糖取り込みを促進します。メトホルミン(グリコラン、メトグルコなど)が代表的です。消化器症状(下痢、吐き気など)が副作用として現れることがありますが、体重増加が少なく第一選択薬として広く使用されています。しかし、まれに乳酸アシドーシスという重篤な副作用のリスクがあります。
3. GLP-1受容体作動薬
インクレチンホルモンの一種であるGLP-1の作用を増強し、食後のインスリン分泌を促進するとともに、グルカゴン分泌を抑制します。また、食欲抑制作用や胃排出遅延作用もあり、体重減少効果も期待できます。週1回注射のデュラグルチド(トルリシティ)や、セマグルチド(オゼンピック、リベルサス)などがあります。
4. SGLT2阻害薬
腎臓での糖再吸収を阻害し、尿中への糖排泄を促進することで血糖値を低下させます。体重減少効果や心不全リスクの低下なども報告されています。ダパグリフロジン(フォシーガ)、エンパグリフロジン(ジャディアンス)などがあります。
5. DPP-4阻害薬
GLP-1を分解する酵素(DPP-4)を阻害し、内因性GLP-1の作用を増強します。シタグリプチン(ジャヌビア)、ビルダグリプチン(エクア)などがあります。副作用が少なく、高齢者にも使いやすいという特徴があります。
インスリン治療については、2型糖尿病患者でも、血糖コントロールが著しく悪い場合や急性合併症、感染症などのストレス状態では必要になることがあります。特にシックデイ(発熱、嘔吐、下痢など食事が摂れない状態)では、ストレスホルモンの上昇によりインスリン抵抗性が高まるため、インスリン強化療法が必要になることがあります。
重要なのは、これらの薬剤は生活習慣の改善を補完するものであり、決して代替するものではないということです。食事療法・運動療法と併用することで、最大の効果が得られます。
インスリン抵抗性は単独で存在するというよりも、多くの場合、複数の疾患と関連しています。これらの関連疾患を予防するために、以下の戦略が重要です。
メタボリックシンドロームの管理
インスリン抵抗性はメタボリックシンドロームの中核をなす病態です。腹囲(男性85cm以上、女性90cm以上)、高血圧(130/85mmHg以上)、高血糖(空腹時血糖110mg/dL以上)、脂質異常症(トリグリセリド150mg/dL以上またはHDLコレステロール40mg/dL未満)のうち2つ以上を合併する場合は、積極的な介入が必要です。
循環器疾患の予防
インスリン抵抗性は動脈硬化を促進し、心筋梗塞や脳卒中のリスクを高めます。レニン-アンジオテンシン-アルドステロン系阻害薬(ACE阻害薬やARB)やスタチンなどの予防薬の使用を検討する必要があります。
妊娠糖尿病のスクリーニング
妊娠中のインスリン抵抗性は妊娠糖尿病を引き起こす可能性があります。妊娠24〜28週での75gOGTTによるスクリーニングが推奨されています。
定期的な検診の励行
インスリン抵抗性は初期段階では無症状であることが多いため、定期的な健康診断でのスクリーニングが重要です。特に家族歴や肥満のある方は、より早期からの監視が必要です。
ストレス管理
慢性的なストレスはコルチゾールなどのホルモンバランスを乱し、インスリン抵抗性を悪化させる可能性があります。マインドフルネス、瞑想、適切な睡眠などのストレス管理技術も予防戦略の一部として考慮すべきです。
睡眠の質の改善
睡眠不足や睡眠時無呼吸症候群はインスリン抵抗性と関連することが知られています。7〜8時間の質の良い睡眠を確保することが重要です。
インスリン抵抗性は現代の生活習慣病の多くの根底にある病態であり、その改善と予防は多くの疾患の予防につながります。医療従事者は患者さんの個別のリスク因子を評価し、包括的なアプローチで対処することが求められます。
興味深いことに、最近の研究では痩せていてもインスリン抵抗性を持つ「代謝的に不健康なやせ」という表現型も報告されており、外見だけでなく内部の代謝状態に注目することの重要性が再認識されています。
インスリン抵抗性の予防と治療は、単に血糖コントロールの問題ではなく、生涯にわたる健康維持のための基盤となる取り組みとして位置づけられるべきでしょう。早期発見と適切な介入により、糖尿病や心血管疾患などの重篤な合併症を未然に防ぐことができます。