後腹膜脂肪肉腫は、後腹膜肉腫の中で最も頻度の高い組織型として知られています。欧米の大規模多施設研究によると、脱分化型脂肪肉腫が37%、高分化型脂肪肉腫が26%を占め、平滑筋肉腫の19%と合わせて後腹膜肉腫の大部分を構成しています。
後腹膜腔は、前方は腹膜および腸間膜、後方は腸筋・腰方形筋・腸骨筋などの後腹壁、内側は傍脊柱筋および下大静脈と大動脈、外側は腹横筋、頭側は横隔膜、尾側は腸腰筋および骨盤骨で囲まれた領域として定義されます。この解剖学的な複雑さが、診断と治療の困難さの一因となっています。
病理学的には、高分化型脂肪肉腫は成熟脂肪細胞に類似した形態を示し、悪性度は比較的低いとされています。一方、脱分化型脂肪肉腫は高悪性度の非脂肪性肉腫成分を含み、より積極的な治療が必要となります。特に興味深いのは、高分化型から脱分化型への変化が経時的に起こりうることで、継続的な病理学的評価の重要性が示唆されています。
希少がんとして分類される後腹膜脂肪肉腫の年間発症率は人口10万人あたり0.2人程度とされており、専門的な診療体制の整備が不可欠です。国立がん研究センターをはじめとする専門施設では、年間50例以上の症例を経験しており、世界的にもハイボリュームセンターとして認識されています。
後腹膜脂肪肉腫の臨床症状は、腫瘍の解剖学的位置により特徴的です。初期段階では無症状であることが多く、多くの患者が健康診断やほかの疾患の検査で偶発的に発見されます。症状が出現する時点では、すでに腫瘍が相当大きくなっており、腹部膨満感や腫瘤の触知、内臓圧迫による腹痛や吐き気が主要な訴えとなります。
診断においては、造影CTとMRIが基本的な画像診断法となります。CTでは腫瘍の大きさ、他臓器との関係、脂肪成分の評価が可能です。MRIは特に脂肪成分の評価に優れており、T1強調画像で高信号を示す脂肪成分と、造影効果を受ける充実成分の混在パターンが特徴的です。
PET-CTは悪性度や腫瘍の生物学的活動度の判定に有用で、特に脱分化成分の評価において価値があります。最近では、CTベースのラジオミクス分類モデルが開発され、組織学的悪性度をCT画像から高精度に予測できる可能性が示されています。このモデルのAUROCは0.928と高い性能を示しており、将来的な診断精度向上に期待されています。
確定診断には組織学的検査が必要で、可能な限り術前生検を行うことが推奨されます。生検により組織型と悪性度を評価し、治療方針の決定に重要な情報を提供します。ただし、腫瘍の不均一性により、生検部位による診断の限界も認識しておく必要があります。
画像診断では、巨大な腫瘍が多臓器に接触または浸潤している像が特徴的で、腹部大動脈や下大静脈などの主要血管との関係性を詳細に評価することが手術計画立案において極めて重要です。
後腹膜脂肪肉腫の治療において、完全な外科的切除が唯一の根治的治療法とされています。手術の基本原則は、腫瘍の完全切除(R0切除)を目指すことであり、そのために必要であれば積極的な他臓器合併切除を行います。
名古屋大学病院の報告によると、約60%の症例で他臓器合併切除が必要となり、腎臓、副腎、大腸、膵臓、脾臓などが切除対象となることが多いとされています。特に脱分化型脂肪肉腫では、腫瘍の浸潤性が高く、より広範囲な切除が必要となる傾向があります。
手術の技術的な課題として、腹部大動脈や下大静脈などの主要血管への浸潤があります。このような症例では、血管外科との連携により血管合併切除・再建が行われることもあります。多施設共同研究では、血管合併切除を伴う症例でも良好な治療成績が報告されており、積極的な外科的アプローチの有効性が示されています。
手術のもう一つの重要な側面は、多診療科連携による集学的アプローチです。消化器外科、泌尿器科、産婦人科、整形外科、心臓外科、血管外科、呼吸器外科などの複数の外科系診療科が協力することで、従来切除不能とされた症例への手術適応拡大が可能となっています。
術後合併症管理も重要で、特に多臓器合併切除を行った症例では、各臓器の機能に応じた周術期管理が必要です。名古屋大学病院では、過去5年間180例の後腹膜腫瘍手術における術後平均在院日数は18日で、過去15年間で手術関連死亡は1例もないという良好な成績を報告しています。
再発症例に対する再手術も重要な治療戦略で、初回手術と同様に完全切除を目指します。最も手術回数が多い患者では8回もの手術が施行されており、再発しても諦めない積極的な治療姿勢が長期予後の改善につながっています。
後腹膜脂肪肉腫に対する補助療法は、手術が主体となる治療において限定的な役割を果たします。化学療法については、現時点で標準的な治療法は確立されていませんが、特定の状況下では検討される場合があります。
周術期化学療法は、滑膜肉腫や粘液型脂肪肉腫などの化学療法奏効性腫瘍、または下大静脈発生平滑筋肉腫やサイズの大きな脱分化型脂肪肉腫などの遠隔転移リスクが高い腫瘍に対して考慮されます。第一選択薬はドキソルビシン単剤療法で、使用できない症例にはイホスファミド単剤療法が選択されます。
脱分化型脂肪肉腫や平滑筋肉腫症例に対しては、ドセタキセルとゲムシタビンの併用療法が選択されることもあります。ハラヴェン(エリブリン)による治療を受けている患者の症例報告もあり、新しい治療選択肢として注目されています。
放射線治療については、複数の後方視的研究において術前放射線治療の局所制御に関する有効性が示されています。後腹膜肉腫症例の癌死は局所制御不能によるものが75%を占めるため、局所再発予防に対する補助療法の重要性が指摘されています。
予後に関しては、名古屋大学病院の101例の後腹膜脂肪肉腫症例において、5年生存率85%、10年生存率69%という良好な成績が報告されています。これは諸外国の一般的な5年生存率60%と比較して優れた結果で、積極的な外科的切除と多診療科連携による治療体制の有効性を示しています。
再発率は約50%と高率ですが、再発症例に対しても積極的な再手術により、無再発症例に劣らない予後が期待できるとされています。このことから、長期的なフォローアップと適切なタイミングでの再介入が予後改善の鍵となります。
後腹膜脂肪肉腫の治療において見過ごされがちな側面が、患者のQOL(生活の質)管理と心理的サポートです。多臓器合併切除を伴う大手術後の患者は、身体機能の変化に直面し、様々な困難を経験します。
術後の身体的変化として、下腹部の不自然な膨隆や腹筋の左右差による機能障害があげられます。これらは患者の日常生活に大きな影響を与え、衣服のサイズ変更やジャンプなどの動作制限を余儀なくされることがあります。腰痛ベルトの使用による見た目の改善は可能ですが、皮膚の摩擦による痒みなどの新たな問題も生じます。
心理的な側面では、希少がんという疾患特性により、患者や家族が十分な情報を得ることが困難な場合があります。また、再発率の高さから「どのように病気が進行し、最終的にどうなるのか」という不安を抱える患者が多いことが患者ブログなどから読み取れます。
同病患者との交流は重要な心理的支援となります。患者ブログのコミュニティでは、治療経験の共有や相互励ましが行われており、医療従事者としてこのような患者同士のネットワーク形成を支援することも重要です。
希少がんホットライン(052-744-2667)のような相談窓口の活用も、患者・家族の不安軽減に有効です。医療従事者は、これらのリソースを積極的に紹介し、患者が孤立感を感じないよう配慮することが求められます。
長期フォローアップにおいては、再発の早期発見と同時に、患者の身体機能やQOLの評価を継続的に行うことが重要です。リハビリテーション専門職との連携により、術後の機能回復と日常生活動作の改善を図ることで、患者の社会復帰を支援できます。
国立がん研究センター中央病院における希少がんセンターでの取り組み
https://www.ncc.go.jp/jp/rcc/about/retroperitoneal_sarcoma/index.html
名古屋大学病院希少がんセンターの診療体制について
https://surgery-nagoya-u.jp/disease/rare_cancer.php