炭酸脱水酵素阻害薬は、生体内で重要な役割を果たす炭酸脱水酵素(carbonic anhydrase:CA)を阻害することにより治療効果を発揮する薬物群です。この酵素は眼を含む多くの組織に存在し、二酸化炭素の水和反応(CO₂ + H₂O ⇔ H₂CO₃ ⇔ H⁺ + HCO₃⁻)を可逆的に促進する重要な酵素です。
🔬 炭酸脱水酵素のアイソザイム分布
眼圧調節に最も重要なのは、毛様体突起の無色素上皮細胞と色素上皮細胞に存在するCA-Ⅱです。炭酸脱水酵素阻害薬はこの酵素を特異的に阻害することで、炭酸水素イオン(HCO₃⁻)の生成と後房への輸送を遅延させます。その結果、ナトリウムイオンとそれに伴う水の輸送が低下し、房水産生が抑制されて眼圧下降効果を示します。
興味深いことに、炭酸脱水酵素阻害薬の眼圧下降効果は、正常眼圧でも高眼圧でも同程度の下降率を示すという特徴があります。これは、房水産生が基礎的な生理機能であり、病的状態に関係なく一定の阻害効果が得られるためです。
経口投与される炭酸脱水酵素阻害薬として、現在日本で使用可能なのはアセタゾラミド(商品名:ダイアモックス)のみです。この薬剤は1954年に緑内障治療薬として初めて臨床応用された歴史ある薬物です。
💊 アセタゾラミドの製剤と薬価
アセタゾラミドは全身の炭酸脱水酵素を広範囲に阻害するため、眼圧下降効果に加えて利尿作用も示します。腎臓の近位尿細管における炭酸脱水酵素阻害により、ナトリウムと炭酸水素イオンの再吸収が減少し、利尿とともに軽度のアシドーシスを引き起こします。
🚨 重要な副作用情報
2024年1月の厚生労働省通知により、アセタゾラミドには重大な副作用として「急性呼吸窮迫症候群、肺水腫」が追加されました。これは国内外の症例評価により因果関係が否定できない症例が集積したためです。
経口薬の主な適応症は以下の通りです。
ただし、経口投与では約50%の患者で副作用が発現するという問題があります。主な副作用として、手指や口唇の知覚異常、胃腸障害、食欲不振、代謝性アシドーシス、低カリウム血症、尿路結石などが報告されています。
点眼用炭酸脱水酵素阻害薬は、経口薬の全身副作用を回避しながら局所的な眼圧下降効果を得ることを目的として開発されました。現在、日本では以下の2つの有効成分が使用されています。
👁️ ドルゾラミド塩酸塩(トルソプト)
1995年に点眼薬として初めて開発された炭酸脱水酵素阻害薬です。CA-Ⅱに対する選択性が高く、点眼により毛様体の炭酸脱水酵素を効率的に阻害します。
製剤と薬価情報。
ドルゾラミドは点眼後、眼内への移行性が良好で、約2時間後に最大眼圧下降効果を示します。1日2-3回の点眼で、ベースライン眼圧から約15-20%の下降効果が期待できます。
👁️ ブリンゾラミド(エイゾプト)
ドルゾラミドよりも後に開発された新しい炭酸脱水酵素阻害薬です。懸濁性製剤として供給され、点眼時の刺激感がドルゾラミドよりも軽減されているのが特徴です。
製剤と薬価情報。
ブリンゾラミドは複数のメーカーから後発品が供給されており、医療経済的な観点からも選択肢が広がっています。センジュ製薬、東亜薬品、サンドからそれぞれ89.7円/mLの統一価格で供給されています。
🔄 配合剤の展開
近年では、炭酸脱水酵素阻害薬と他の眼圧下降薬との配合剤も開発されています。特に、ドルゾラミド・チモロール配合剤は、異なる作用機序を持つ2つの薬剤により相加的な眼圧下降効果を示します。チモロールは非選択的β受容体遮断薬であり、房水産生抑制と房水流出促進の両方の機序で眼圧を下降させます。
炭酸脱水酵素阻害薬の副作用プロファイルは、投与経路により大きく異なります。経口薬では全身性の副作用が問題となる一方、点眼薬では局所的な副作用が主体となります。
🚨 経口薬(アセタゾラミド)の主要副作用
特に代謝性アシドーシスは、炭酸脱水酵素阻害による直接的な結果として生じます。腎臓での炭酸水素イオン再吸収阻害により、血中pH低下と血清炭酸水素イオン濃度減少が起こります。高齢患者や腎機能低下患者では特に注意が必要です。
👁️ 点眼薬の局所副作用
ドルゾラミドの国内第Ⅲ相試験では、189例中27例(14.3%)で副作用が報告されました。
ブリンゾラミドでは懸濁性製剤の特性により、点眼後の一時的な視野のかすみが生じることがありますが、多くの場合は数分で改善します。
⚠️ 重大な副作用の追加情報
2024年の安全性情報更新により、アセタゾラミドに「急性呼吸窮迫症候群、肺水腫」が重大な副作用として追加されました。これは国内11例中9例、海外6例中4例で因果関係が否定できないと判断されたためです。呼吸困難、胸部不快感、酸素飽和度低下などの症状に注意し、早期発見・早期対応が重要です。
🔄 薬物相互作用
アセタゾラミドは他の薬物との相互作用にも注意が必要です。
炭酸脱水酵素阻害薬の選択には、薬価、効果、安全性、患者のコンプライアンスなど多角的な検討が必要です。特に長期治療が前提となる緑内障治療では、医療経済的な観点も重要な要素となります。
💰 薬価比較と経済性
経口薬と点眼薬では薬価体系が大きく異なります。
経口薬(アセタゾラミド)。
点眼薬(1日2回点眼、月1本使用と仮定)。
単純な薬価比較では経口薬が圧倒的に安価ですが、副作用による治療継続困難性や、追加検査費用(電解質モニタリング等)を考慮すると、実際のコスト差は縮小します。
🎯 臨床での使い分け指針
急性緑内障発作時
慢性緑内障の維持療法
特殊な状況での選択
🔬 将来展望と新たな開発動向
炭酸脱水酵素阻害薬の分野では、より選択性の高いCA-Ⅱ阻害薬や、新規のDDS(Drug Delivery System)を応用した製剤開発が進んでいます。特に、持続性点眼製剤や眼内留置型デバイスの開発により、患者の点眼回数減少と治療アドヒアランス向上が期待されています。
また、CA-Ⅸ、CA-Ⅻなどの腫瘍関連炭酸脱水酵素を標的とした抗癌剤開発も活発化しており、眼科領域以外での新たな治療応用も期待されています。
炭酸脱水酵素阻害薬は、半世紀以上にわたって緑内障治療の中核を担ってきた薬物群です。経口薬から点眼薬への展開により安全性が向上し、現在でも多くの患者で第一選択薬として使用されています。適切な薬剤選択と副作用モニタリングにより、安全で効果的な治療継続が可能となります。
塩酸ドルゾラミドの詳細な薬理学的特性について - 日本薬理学会
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