ウイルスが変異すると、既存の中和抗体が完全に無効化され患者保護に役立たなくなる例が報告されています。

中和抗体(neutralizing antibody)とは、病原体やウイルスが宿主細胞に感染する能力を直接阻止する抗体のことです。すべての抗体が中和活性を持つわけではありません。
抗体には大きく分けて「中和抗体」と「非中和抗体(結合抗体)」があります。非中和抗体はウイルス粒子には結合できるものの、感染そのものを止める力を持ちません。中和抗体は、ウイルスの表面にある「受容体結合ドメイン(RBD)」や「スパイクタンパク質」などの機能的な部位に結合することで、細胞への吸着・侵入プロセスを物理的にブロックします。
たとえばSARS-CoV-2の場合、スパイクタンパク質がヒト細胞のACE2受容体に結合することで感染が成立します。中和抗体はこのスパイク-ACE2の結合を競合的に阻害し、感染連鎖を断ち切ります。これが原則です。
中和抗体の効力は「中和力価(neutralization titer)」という数値で評価されます。臨床的には50%プラーク減少中和試験(PRNT50)や偽ウイルス中和試験が広く使われており、力価が高いほど防御効果が強いとされます。力価の解釈は疾患ごとに異なるため注意が必要です。
医療現場で実際に使用される中和抗体の代表例として、モノクローナル抗体(mAb)製剤が挙げられます。これは使えそうな知識です。
以下に主要な製剤を示します。
モノクローナル抗体製剤は「標的が明確」という点が最大の強みです。一方、製造コストが高く(1回の投与で数万〜数十万円に上ることも)、保険適用条件の確認が臨床上不可欠です。
モノクローナル抗体製剤だけが中和抗体ではありません。自然感染やワクチン接種後にも体内で中和抗体は産生されます。これも大切な視点です。
COVID-19を例に挙げると、mRNAワクチン(BNT162b2:ファイザー/ビオンテック製)の2回接種後、約90〜95%の被接種者でスパイクタンパク質に対する中和抗体が検出されたとする報告があります。しかし抗体価は接種後6ヶ月で約10分の1に低下するという研究データも存在します。
| 抗体誘導の方法 | 代表例 | 持続期間の目安 |
|---|---|---|
| 自然感染後 | SARS-CoV-2感染後抗体 | 3〜12ヶ月(個人差大) |
| mRNAワクチン | BNT162b2、mRNA-1273 | 6ヶ月で著明低下 |
| 組換えタンパクワクチン | ノババックス(NVX-CoV2373) | 比較的安定(要追加接種) |
| 受動免疫(投与) | パリビズマブ、ソトロビマブ | 製剤の半減期に依存 |
インフルエンザウイルスに対しても、毎年のワクチン接種でHA(赤血球凝集素)タンパク質に対する中和抗体が誘導されます。ただし株の一致度によって防御効果は大きく変わります。一致度が高い年でも防御効率は60〜70%程度という報告が多く、「ワクチンを打てば必ず防げる」という単純な理解は臨床では危険です。
インフルエンザとは異なり、RSV感染後の中和抗体は防御的とは言いにくいという点も意外ですね。繰り返し感染が成立してしまう理由の一つとして、RSVが産生する誘導抗体の中和活性が低いことが指摘されています。
参考:RSVに関するWHOのファクトシート(英語)
WHO Respiratory syncytial virus (RSV) – Fact sheet
中和抗体が存在していても感染を防げないケースがあります。どういうことでしょうか?
主な原因は「ウイルスの抗原変異」と「免疫逃避(immune escape)」です。SARS-CoV-2オミクロン株(BA.1)では、スパイクタンパク質に32箇所もの変異が入ったことで、デルタ株以前の中和抗体の大部分が結合できなくなりました。実際に、カシリビマブ+イムデビマブのカクテル療法はオミクロン株に対してほぼ中和活性を示さないとされ、処方が事実上停止されました。
免疫不全患者では話が変わります。血液悪性腫瘍の治療中など、B細胞が著しく減少した状態ではワクチン接種後も中和抗体がほとんど産生されないことがあります。このようなケースでは、ワクチン接種の効果を抗体価測定で確認することが推奨されます。
また、中和抗体価が高くても「感染防御」と「重症化防御」は別物です。
つまり「中和抗体価が高い=感染しない」ではないということです。これは医療現場でよく混同される点であり、患者への説明時に注意が必要です。
参考:国立感染症研究所による中和抗体関連レポート
国立感染症研究所|COVID-19関連情報
中和抗体の「量(力価)」だけでなく「質(親和性・エピトープ)」を評価する視点が、近年の研究で重要視されています。意外ですね。
一般的な抗体検査(S抗体・N抗体など)は「結合抗体」の量を測定しており、中和活性そのものを直接測定しているわけではありません。結合抗体が高くても、エピトープ(抗体が結合する部位)が機能的でない場合、中和活性はほぼゼロになります。
中和活性の直接測定には以下の方法があります。
「広域中和抗体(broadly neutralizing antibody)」という概念も押さえておく価値があります。これは複数の変異株・血清型にまたがって中和活性を示す抗体で、インフルエンザやHIVの次世代ワクチン設計において注目されています。HA茎部(stem region)を標的とする広域中和抗体は、季節型・パンデミック型を問わず有効という研究成果が蓄積されており、ユニバーサルインフルエンザワクチン開発の鍵とされています。
現在の臨床現場では「どの中和抗体製剤を選ぶか」だけでなく、「その製剤が現在流行している株に対して有効かを確認する」プロセスが不可欠です。変異株情報は国立感染症研究所のサーベイランスレポートで定期的に更新されています。製剤選択前にエスケープ変異情報を確認する習慣をつけることが、実臨床での最善策です。
参考:中和抗体の評価手法に関する研究(J-STAGE)
日本ウイルス学会誌(J-STAGE)