五感を失う病気は、それぞれの感覚器官や神経系の障害によって起こります。視覚障害では、緑内障や網膜色素変性症などの眼疾患、脳の損傷が主な原因となります。これらの疾患により視力が低下し、日常生活に支障をきたす場合、障害年金の対象になることもあります。
聴覚障害は先天性聴覚障害、加齢による難聴、外傷や感染症が一般的な原因です。音の聞き取りが困難になり、コミュニケーションに支障が出る場合、適切な診断と治療が必要になります。
嗅覚や味覚の喪失については、風邪やインフルエンザ、COVID-19などのウイルス感染、脳の損傷、神経疾患(パーキンソン病やアルツハイマー病など)が原因となります。近年、感染症の後遺症として、これらの感覚が一時的に失われるケースが注目されています。
触覚の喪失は、脳や神経の損傷によって起こり、糖尿病による神経障害や脊髄の損傷が原因で、体の一部や全体の感覚が失われることがあります。
中枢性嗅覚障害は、嗅覚路(においの伝わる神経回路)の障害により生じます。頭部外傷による脳挫傷が最も多い原因で、脳腫瘍、脳出血、脳梗塞なども原因となります。
特に注目すべきは、パーキンソン病やアルツハイマー型認知症などの神経変性疾患に合併する嗅覚障害です。これらの疾患では、主症状の発症前に嗅覚障害が出現することが知られており、早期診断の重要な指標となります。
認知機能の低下と五感の関係も重要です。認知症のなかでも最も割合が多い「アルツハイマー型認知症」では、五感から得た情報の処理能力が低下し、現代の医療では根本的な治療は困難とされています。
興味深い研究結果として、嗅覚を完全に失うと他の疾病より死亡率が高いという報告があります。これは、嗅覚が生命維持に重要な役割を果たしていることを示唆しています。
**触覚失認(触覚agnosia)**は、基本的な感覚欠陥がないにもかかわらず、触覚による物体認識ができない状態です。この病態は、皮質基底核症候群(CBS)の初期症状として現れることがあり、認知機能の低下を伴わない場合もあります。
触覚失認は「物質認識障害(hyloagnosia)」と「形態認識障害(morphoagnosia)」に分類されます。物質認識障害では物体の材質の判別が困難になり、形態認識障害では形や大きさの認識が困難になります。
一方で、感覚の異常には感覚過敏・感覚鈍麻という病態もあります。これは五感への刺激に対し、脳がうまく機能せず、刺激に過剰に反応したり、反応しなくなったりする状態です。ADHD や ASD(自閉スペクトラム症)の特性がある人では、感覚過敏・鈍麻を併せ持つことが多いとされています。
転換性障害では、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった五感の機能異常が心理的要因により現れます。目が見えなくなる、耳が聞こえなくなる、においや味がわからなくなる、ものに触っても熱い冷たいがわからなくなるなどの症状が含まれます。
医療従事者として、五感を失う病気の診断では、病態分類を正確に行うことが重要です。嗅覚障害を例にとると、気導性嗅覚障害、嗅神経性嗅覚障害、中枢性嗅覚障害の3つに分類されます。
気導性嗅覚障害は、鼻で呼吸した際に空気が嗅細胞に到達しないために生じ、慢性副鼻腔炎(蓄膿症)やアレルギー性鼻炎が原因となります。嗅神経性嗅覚障害は、感冒後嗅覚障害のように嗅細胞へのウイルス感染や頭部外傷により起こります。
治療においては、原因に応じたアプローチが必要です。ランドウ・クレフナー症候群のような稀な疾患では、抗てんかん薬治療のみでは改善しないことが多く、ステロイド療法や免疫グロブリン療法が必要になります。
早期診断の重要性も強調されます。パーキンソン病やアルツハイマー型認知症では、主症状の発症前に嗅覚障害が出現するため、嗅覚検査は重要なスクリーニング手段となります。
五感を失う病気の予後は疾患により大きく異なります。ランドウ・クレフナー症候群では、てんかん発作と脳波異常は思春期までに改善することが多いものの、言語機能が正常化するのは20〜30%にすぎません。多くの患者で言語聴覚障害とそれに関連する認知障害、精神行動障害が残存します。
心理的支援も重要な要素です。聴力は正常でも言葉としての聞き取りが困難なため、周囲の理解が得られず、心身症や抑うつなどの精神症状を二次的に合併することが稀ではありません。
離人感・現実感消失症の治療では、グラウンディングという技法が用いられます。これは五感(聴覚、触覚、嗅覚、味覚、視覚)を活用して、自分自身や現実世界とつながっているという感覚を強める方法です。大音量の音楽をかけたり、手のひらに氷を乗せたりすることで、現実に生きている自分自身の存在を認識させます。
医療従事者が知っておくべき重要な事実として、聴覚は最後まで残る感覚であることが挙げられます。瀕死の状態や意識レベルの低下した患者でも、周囲の人の声とその発言内容をはっきりと覚えていることが多いため、不用意な言葉は厳に慎む必要があります。
現在の医療では、五感すべてを失う病気は極めて稀ですが、個々の感覚を失う病気や症状は実際に存在し、患者の生活の質に大きく影響します。医療従事者として、これらの疾患に対する正確な知識と適切な対応能力を身につけることが、患者の最善の治療成果につながります。
治療においては、原因疾患に対する直接的な治療とともに、残存する感覚機能を最大限に活用したリハビリテーション、心理的支援、そして患者とその家族への教育と指導が重要な要素となります。