骨折リスクを54%も下げた薬が、脳卒中リスクで全世界から姿を消しました。
カテプシンKは、1994年に日本の研究者・久米川正好氏らが破骨細胞から発見・クローニングしたシステインプロテアーゼです。その名称は「Kumegawa(久米川)」のイニシャル「K」に由来するという経緯があり、国内発の骨代謝研究が世界的な創薬競争を生んだという事実は、あまり知られていません。
カテプシンKは、破骨細胞が骨を吸収する際に分泌され、骨の主要な基質タンパクであるⅠ型コラーゲンを三重らせん構造のまま切断できる唯一のプロテアーゼです。骨吸収には「酸による脱灰」と「コラーゲン分解」の2段階が必要ですが、後者の主役がカテプシンKということになります。
ここで重要なのは、従来の骨吸収抑制薬との決定的な違いです。
| 薬剤の種類 | 作用ターゲット | 破骨細胞への影響 | 骨形成への影響 |
|---|---|---|---|
| ビスホスホネート | FPPS阻害→アポトーシス誘導 | 細胞死を促進 | 二次的に抑制 |
| デノスマブ | RANKL阻害 | 分化そのものを抑制 | 二次的に抑制 |
| カテプシンK阻害薬 | コラーゲン分解酵素を直接阻害 | 生存・分化には影響せず | 軽度の抑制にとどまる |
ビスホスホネートやデノスマブは、破骨細胞そのものの働きを封じることで骨吸収を下げますが、同時に骨形成(カップリング)も抑制される「もろ刃の剣」という側面があります。一方、カテプシンK阻害薬は破骨細胞の活動を止めるのではなく、コラーゲンを分解する「道具だけ」を取り上げるイメージです。破骨細胞から分泌されるシグナル物質は依然として存在し、骨芽細胞による骨形成を促すカップリングが維持されやすいという理論的な優位性がありました。
つまり骨吸収抑制が原則です。しかし骨形成を損なわないという点で、従来薬よりも「バランスのよい骨代謝」を実現できると期待されていました。動物実験(ウサギ・アカゲザル)でも、ビスホスホネート群と比較して骨形成マーカーの抑制が軽度にとどまることが確認されています。
この独自のプロフィールこそが、オダナカチブを「骨粗鬆症治療のゲームチェンジャー」と呼ばせた根拠でした。それほど期待が大きかった分、その後の開発中止は国際的な骨代謝医学界に「衝撃的」と評されるほどの波紋を生みました。
参考リンク:カテプシンKの発見経緯とカテプシンK阻害薬開発の原点について
日本骨代謝学会 Brave Heart — 久米川 正好氏の研究回顧録(カテプシンK命名の経緯含む)
カテプシンK阻害薬の代表格であるオダナカチブ(開発コード:MK-0822)は、米メルク社が2000年代から骨粗鬆症治療薬として開発を進め、最終的にフェーズ3臨床試験「LOFT(Long-Term Odanacatib Fracture Trial)」まで到達しました。この試験は16,000例以上の閉経後骨粗鬆症患者を対象とした大規模な無作為化二重盲検プラセボ対照試験です。16,000例という規模は、日本の骨粗鬆症治療薬の主要な国際試験の中でも最大クラスに相当します。
LOFT試験の結果は骨折抑制の面では目覚ましいものでした。
これほど高い骨折抑制効果が示されたにもかかわらず、2016年9月に米メルク社は「全世界での開発中止」を突然発表しました。意外ですね。理由は、独立機関(IDMC/DSMB)による心血管系イベントの判定・解析において、脳卒中リスクの有意な上昇が確認されたためです。
骨折は防げた。しかし脳卒中が増えた。これが開発中止の核心です。
なぜカテプシンKの阻害が脳卒中リスクを高めるのか、そのメカニズムは現時点でも完全には解明されていません。カテプシンKは骨以外の組織にも存在することが知られており(大動脈平滑筋、マクロファージなど)、血管壁における何らかの関与が推測されていますが、確定的な機序説明は学術的な課題として残っています。
また、カテプシンK阻害薬の中止はオダナカチブだけの話ではありません。それ以前から複数の薬剤が開発の途中で脱落しています。
バリカチブとレラカチブの失敗から「カテプシンKへの選択性の高さ」がいかに重要かが浮かび上がり、オダナカチブはその教訓を活かして設計された薬剤でした。それでもなお、脳卒中という想定外の心血管リスクが判明したという点に、骨代謝治療薬開発の難しさが凝縮されています。
参考リンク:オダナカチブのLOFT試験データと開発中止の詳細
MixOnline — 米メルク 新規骨粗鬆症治療薬オダナカチブの開発中止(2016年9月)
オダナカチブの開発中止は、骨粗鬆症治療薬の「次の一手」を失っただけにとどまりません。医療従事者として知っておくべき背景的な影響があります。
まず、ビスホスホネートやデノスマブの長期使用に伴う問題(顎骨壊死や非定型大腿骨骨折)への解決策として、カテプシンK阻害薬が有力視されていた経緯があります。既存の骨吸収抑制薬は骨代謝回転を過度に抑制することで、マイクロダメージの修復機能が損なわれ、非定型骨折リスクが上昇するとされています。
ビスホスホネートによる非定型大腿骨骨折のリスクは5年以上の使用で高まります。カテプシンK阻害薬は、この長期使用問題の代替として期待されていたのです。開発中止によりその期待が消えた後、医療現場では「いつ休薬するか」「どう逐次療法を組み立てるか」という課題がより切実になりました。
これは重要な問題点です。
現在の骨粗鬆症の治療選択肢は以下のように整理されます。
| 薬剤カテゴリ | 代表薬 | 長期使用の注意点 |
|---|---|---|
| ビスホスホネート | アレンドロネート、リセドロネート | 顎骨壊死、非定型骨折(5年以上) |
| RANKL抗体 | デノスマブ(プラリア®) | 中止後のリバウンド骨折(椎体多発骨折) |
| PTH製剤 | テリパラチド、アバロパラチド | 使用期間が18〜24カ月に限定 |
| 抗スクレロスチン抗体 | ロモソズマブ(イベニティ®) | 使用期間が12カ月に限定、心血管リスク |
これらの薬剤は、すべてが一長一短です。骨粗鬆症ガイドライン2025年版では「骨形成促進薬から骨吸収抑制薬への逐次療法」が推奨されていますが、それ自体、カテプシンK阻害薬というオプションが消えた後の最良解といえます。
既存薬の骨折抑制効果は明確に証明されているとはいえ、「骨形成も同時に温存できる骨吸収抑制薬」という理想型の医薬品は、今現在も世界中で探し続けられているのが現状です。
参考リンク:骨粗鬆症治療の現状と薬剤選択についての最新情報
日本医師会 — かかりつけ医に必要な骨粗鬆症への対応(2025年版ガイドライン対応)
カテプシンK阻害薬が臨床に出回ることなく消えた今、医療従事者として改めて整理すべき視点があります。直接的な「カテプシンK阻害薬の処方管理」の話ではなく、この歴史が教える骨粗鬆症治療全体の注意点です。
第一の視点:脳卒中・心血管リスクの評価は骨粗鬆症患者でも不可欠
オダナカチブの脳卒中リスク上昇は、骨代謝薬と心血管リスクの関係が予断を許さないことを示しました。これは他の薬剤でも教訓になります。実際、抗スクレロスチン抗体ロモソズマブ(イベニティ®)も心血管イベントリスクの注意喚起が添付文書に記載されており、心筋梗塞・脳卒中の既往がある患者への投与には慎重さが求められます。骨粗鬆症は骨だけの問題ではないということですね。
第二の視点:既存の骨吸収抑制薬の「中止のタイミング」は積極的に議論する
カテプシンK阻害薬が存在しない現在、ビスホスホネートの長期投与に関しては「休薬(薬物休暇)」の概念がより重要です。特にアレンドロネートやリセドロネートは5年以上の投与後に非定型大腿骨骨折リスクが高まることが知られています。骨折リスクが低リスクに落ち着いた患者では、1〜2年の休薬を検討することがガイドライン上でも示されています。
休薬の判断は個別化が条件です。
第三の視点:デノスマブ中止後のリバウンド骨折に注意
デノスマブ(プラリア®)は皮下注射製剤で6ヵ月毎の投与ですが、中止後に骨密度が急速に低下し、椎体骨折が多発する「リバウンド現象」のリスクがあります。注射薬のデノスマブを抜歯などの処置で安易に休薬することは、大きなリスクをはらんでいます。顎骨壊死(MRONJ)の予防目的での骨粗鬆症用量(低用量)デノスマブの予防的休薬については、薬剤関連顎骨壊死検討委員会のポジションペーパー2023でも「骨粗鬆症関連骨折発症率の増加につながる可能性がある」と注意喚起されています。
これは使えそうな情報です。
第四の視点:薬剤選択には「骨折リスク評価ツール(FRAX)」を活用する
カテプシンK阻害薬のような新薬が消えた分、現行薬をいかに最適に使うかが問われます。FRAX(骨折リスク評価ツール)を用いて10年間の骨折確率を算出し、薬剤選択・変更のタイミングを患者個別に判断することが、エビデンスに基づいた実践として推奨されています。骨密度のみに頼らない多因子評価が原則です。
参考リンク:薬剤関連顎骨壊死のポジションペーパー2023(デノスマブ中止のリスクに関する記述)
日本口腔外科学会 — 顎骨壊死検討委員会ポジションペーパー2023(休薬に関する記述含む)
オダナカチブの失敗によって骨粗鬆症向けのカテプシンK阻害薬開発は事実上終息しましたが、カテプシンKそのものへの研究は別の形で続いています。医療従事者として押さえておきたい「この先の可能性」です。
スウェーデンのMEDIVIR社が開発した選択的カテプシンK阻害薬MIV-711は、骨粗鬆症ではなく変形性膝関節症(OA)を対象に第2a相試験が実施されました。244例の一次性変形性膝関節症患者を対象にしたこの試験では、主要評価項目であった疼痛スコアの有意な改善は得られませんでした。それは厳しいところですね。
しかし画像評価では、内側大腿骨領域の変形進行の有意な抑制(100mg/d群:p=0.002)と内側大腿軟骨の菲薄化抑制(p=0.023)が確認されています。変形性関節症における軟骨保護効果として、あくまで初期段階のデータながら注目すべき所見です。カテプシンKは骨だけでなく軟骨のコラーゲンも分解するため、OAにおける軟骨破壊の抑制に関与する可能性が理論的に示されていたのです。
また、東京医科歯科大学の高柳広氏らは、カテプシンKが免疫活性化にも関与することを示し、関節リウマチや多発性硬化症などの自己免疫疾患モデルで、カテプシンK阻害薬が骨破壊と免疫異常の双方に効果を持つことを動物実験で証明しています。この知見は、カテプシンK阻害が「骨だけの問題」ではないという視点を広げるものです。
カテプシンKは骨・軟骨・免疫系をつなぐ多機能酵素ということです。
現時点では骨粗鬆症に対して承認されたカテプシンK阻害薬は世界中に一つも存在しません。しかし、変形性関節症やリウマチ性関節破壊に対する新たなアプローチとして、選択的カテプシンK阻害という概念は生き続けています。医療従事者がこの経緯を知っておくことは、将来の新薬の位置づけを正しく評価する際に役立ちます。
参考リンク:MIV-711の変形性膝関節症に対する第2a相試験の概要
m3.com — 変形性膝OAの悪化、新カテプシンK阻害薬(MIV-711)で抑制(Annals of Internal Medicine 2020年)
参考リンク:カテプシンKと関節リウマチ・免疫応答の関連について
東京医科歯科大学 — タンパク分解酵素カテプシンKが免疫を活性化することを発見(Science誌掲載研究)