非結核性抗酸菌症は、結核菌やらい菌以外の抗酸菌によって引き起こされる感染症です。非結核性抗酸菌(NTM: Non-tuberculous Mycobacteria)は水や土壌などの環境中に広く存在し、自然界に普通に見られる環境菌です。現在、約170種類の非結核性抗酸菌が知られていますが、そのうち人に感染症を引き起こすのは約20種類と言われています。
この疾患の大きな特徴は、結核菌と異なり人から人へは感染しないことです。そのため、感染者と接触しても感染するリスクはありません。感染経路としては、環境中の菌が呼吸器や皮膚の創傷などから体内に入ることで感染すると考えられています。
日本では非結核性抗酸菌症の原因菌として、マイコバクテリウム・アビウム(Mycobacterium avium)とマイコバクテリウム・イントラセルラーレ(Mycobacterium intracellulare)を合わせたMAC(Mycobacterium avium complex)が約80%、マイコバクテリウム・カンサシ(Mycobacterium kansasii)が約10%を占めています。MACによる感染症はMAC症と呼ばれ、最も一般的な非結核性抗酸菌症です。
免疫力が低下した患者や高齢者に発症しやすい傾向がありますが、近年では免疫不全のない中高年の女性にも増加しています。特に既存の呼吸器疾患(特に陳旧性肺結核やCOPDなど)を持つ方は発症リスクが高いとされています。
非結核性抗酸菌症に特有の症状はなく、肺炎や結核と似た呼吸器症状が主体となります。初期段階では症状がほとんどない、または非常に軽微なことが多く、病変が進行すると以下のような症状が現れます。
特筆すべきは、約2〜3割の患者さんは症状がなく、健康診断や他の疾患の精査中に偶然発見されることもあるという点です。そのため、「咳が2週間以上続く場合は受診をお勧めする」とされています。
非結核性抗酸菌症は一般に進行が緩やかで、年単位でゆっくりと進行することが多いです。日常生活に支障がないまま経過することもありますが、無症状でも徐々に肺の病変が進行する可能性があるため、定期的な経過観察が重要となります。
患者さんの状態によって、MAC症は以下の5つの病型に大別されます。
近年では特に結節・気管支拡張型が急増しているとの報告があります。
非結核性抗酸菌症の診断には、以下のような検査が行われます。
1. 画像検査
画像検査では、病型によって特徴的な所見が認められます。
2. 細菌学的検査
診断は時に難しく、肺結核症との鑑別が困難な場合もあります。その場合、PCR検査の結果が出るまでは肺結核症の可能性を考慮し、個室隔離して感染防止対策をとることが推奨されています。
画像検査で空洞(肺組織の一部が病気で崩れて穴があいた状態)がみられる場合、過去の画像と比較して明らかに悪化している場合、痰から多数の菌が検出される場合には治療開始を考慮する必要があります。
なお、非結核性抗酸菌症の確定診断には、臨床所見、画像所見、細菌学的所見を総合的に評価することが重要です。単に喀痰から非結核性抗酸菌が検出されただけでは、「保菌状態」である可能性もあり、必ずしも治療が必要とは限りません。
非結核性抗酸菌症の治療は、原因となる菌種によって異なります。日本では最も多いMAC症を中心に解説します。
MAC症の標準治療
MAC症の治療には、以下の3剤を基本とした多剤併用療法が行われます。
重症例や治療効果が不十分な場合は、以下の薬剤が追加されることもあります。
なぜ多剤併用が必要か?
多剤併用療法が必要な理由は主に3つあります。
その他の非結核性抗酸菌症の治療
治療期間と経過
通常、治療期間は陰性化確認後1年以上続けることが多く、長期間(1〜3年)の服薬が必要となります。治療効果は以下のようなタイムラインで現れることが多いです。
治療開始を決断する際は、患者さんの全身状態や基礎疾患、副作用リスク、QOLなどを考慮します。症状が軽微で進行が遅い場合は、治療を開始せず経過観察を選択することもあります。
非結核性抗酸菌症の治療に用いられる薬剤は、長期間服用することが多いため、副作用のモニタリングと適切な対応が重要です。主な治療薬の副作用とその管理について解説します。
1. クラリスロマイシン(CAM)の副作用
クラリスロマイシンは比較的副作用の少ない薬剤ですが、稀に肝機能障害や皮膚発疹がみられることがあります。また胃腸の運動を促進する作用もあるため、胃腸症状に注意が必要です。定期的な肝機能検査が推奨されます。
2. リファンピシン(RFP)の副作用
リファンピシンは肝臓で代謝されるため、肝機能検査によるモニタリングが必須です。また、体液の着色は副作用ではなく薬剤の特性ですが、患者さんには事前に説明しておくことが重要です。コンタクトレンズの着色にも注意が必要です。
3. エタンブトール(EB)の副作用
エタンブトールの最も重要な副作用は視力障害です。服用開始から約4ヶ月後に視力低下が現れることがありますが、薬剤中止により多くの場合約半年で回復します。定期的な眼科検査が必要で、視力障害が疑われる場合は速やかに薬剤を中止すべきです。また、アレルギー性皮疹も比較的高頻度でみられるため注意が必要です。
4. リファブチン(RBT)の副作用
リファブチンはリファンピシンと類似した薬剤ですが、特にブドウ膜炎に注意が必要です。眼症状がある場合は早急に眼科受診が必要です。
副作用管理のポイント
治療効果と副作用のバランスを考慮しながら、個々の患者に最適な治療計画を立案することが重要です。特に高齢者や他の疾患を持つ患者では、薬物相互作用や副作用のリスクが高まるため、より慎重な管理が求められます。
非結核性抗酸菌症は完治が難しく、長期間にわたって付き合っていく必要のある慢性疾患です。そのため、身体的な治療だけでなく、心理的なサポートや生活の質(QOL)の維持・向上も重要な課題となります。
長期治療による心理的負担
非結核性抗酸菌症の治療は、結核と異なり長期間(1〜3年、場合によってはそれ以上)にわたります。複十字病院では「30年以上経過観察のみで過ごされた方もいらっしゃる」という例もあります。このような長期間の治療や経過観察は、患者さんに以下のような心理的負担をもたらすことがあります。
心理的ケアのアプローチ
日常生活の質を高めるための工夫
非結核性抗酸菌症の専門医である東名古屋病院の小川賢二医師は、「この病気と長くおつき合いしていこうというゆとりをもって過ごすことが大事」と述べています。この言葉は、治療の長期化に伴う心理的な負担を軽減し、生活の質を維持するための重要な心構えを示しています。
医療従事者は、単に身体的な治療だけでなく、患者さんの心理的側面にも配慮した総合的なケアを提供することが求められます。「治療」と「生活」のバランスを取りながら、患者さんが自分らしい生活を送れるようサポートすることが、長期にわたる非結核性抗酸菌症の管理において極めて重要です。
非結核性抗酸菌症患者のQOL向上については、日本結核病学会の「非結核性抗酸菌症診療マニュアル」にも記載があり、多面的なアプローチの重要性が強調されています。