コリンエステラーゼ(ChE)は、肝細胞でのみ産生される酵素で、血液中の値は肝臓の蛋白合成能力を鋭敏に反映します。基準値は、男性で234~493U/L、女性で200~452U/Lとされており、測定方法や検査機関によって若干の違いがあります。
参考)コリンエステラーゼ(Ch-E)(血液)
血清ChEが低値を示す主な原因は、肝機能低下と低栄養状態の2つに大別されます。ChEの血中半減期はアルブミンよりも短いため、急性の変化をより早く捉えることができ、肝臓の蛋白合成能の指標として優れています。そのため、肝疾患の進行度評価や栄養状態の把握に広く用いられています。
参考)https://www.crc-group.co.jp/crc/q_and_a/126.html
他の肝機能検査が正常値であるにもかかわらずChEのみが低値を示す場合は、慢性的な低栄養状態が考えられます。この場合、適切なエネルギー摂取と、炭水化物・たんぱく質・脂質を適正な配分でとることが重要になります。
参考)コリンエステラーゼ - 血液検査の意味 l 肝機能の数値・肝…
肝硬変は、コリンエステラーゼが低下する代表的な疾患です。肝硬変が進行すると、肝臓の蛋白合成能力が著しく低下し、ChE値も減少します。特に、肝硬変で黄疸を伴う場合に非常に低い値を示すと、予後不良を示唆する重要な指標となります。
参考)コリンエステラーゼ(ChE)
肝硬変の主な症状としては、全身倦怠感、易疲労感、食欲低下などの一般的な症状に加えて、特徴的な身体所見が現れます。くも状血管拡張(首や前胸部、頬に赤い斑点)、手掌紅斑(掌の両側が赤くなる)、腹水(下腹部の膨満)、腹壁静脈拡張(へその周りの静脈が太くなる)、黄疸(白目が黄色くなる)などが認められます。
参考)肝硬変
肝硬変では血液が十分に肝臓に流れ込まなくなり、全体の肝細胞機能が低下するため、ChE低値に加えて腹水、肝性脳症、黄疸、出血傾向など多彩な症状が現れます。腹水が貯まると息切れや食欲不振、むくみなどが生じ、生活の質が大きく低下します。
参考)肝硬変とは?症状や診断方法について解説|渋谷・大手町・みなと…
コリンエステラーゼは、蛋白質・エネルギー低栄養状態で低下する重要な指標です。栄養評価に用いられる血清アルブミン値の半減期が約21日と長いのに対し、ChEはより早く栄養状態の変化を反映するため、急性期の栄養評価に有用です。
参考)血清コリンエステラーゼ(ChE)の意義
低栄養状態では、ChEはアルブミンやコレステロールとともに栄養指標として用いられ、重症感染症や悪性腫瘍でも低値となります。逆に、過栄養状態ではChEの合成が亢進し、脂肪肝や肥満、糖尿病などで高値を示します。
参考)コリンエステラーゼ(ChE)[ラボ NO.539(2023.…
医療従事者にとって、ChE値は患者の栄養管理において極めて重要な指標です。低栄養患者の診断基準として、血清アルブミン(蛋白質不足の指標)、コリンエステラーゼ(蛋白質・エネルギー低栄養状態の指標)、ヘモグロビン(ビタミン・鉄欠乏性貧血のチェック)、総リンパ球数(栄養状態と相関)などが総合的に評価されます。
参考)https://www.hospital.yaizu.shizuoka.jp/data/media/yaizu-hospital/page/medical-care/nst/teieiyou.pdf
農薬、殺虫剤、サリンなどに含まれる有機リンは、ChE活性を失活させる働きがあり、肝障害以外で極端にChEが低値を示す場合には、有機リン中毒を疑う必要があります。日本臨床検査医学会では、ChE≦20U/Lをパニック値として提唱しており、緊急で処置をしないと生命の危険がある状態です。
参考)Labo_539
有機リン化合物は、アセチルコリンエステラーゼ阻害薬としての活性を持ち、神経伝達物質アセチルコリンを分解する酵素を阻害します。この結果、シナプス内にアセチルコリンが過剰に蓄積し、臓器に常に刺激が届き続ける状態になります。
参考)いまさら聞けない副交感神経系の仕組みと有機リン中毒|けいゆう…
有機リン中毒の急性症状(急性コリン作動性症候群)は、唾液と涙の過剰分泌、下痢、嘔吐、瞳孔の縮小(縮瞳)、発汗、筋肉の振戦、混乱などが特徴的です。症状の発症は数分から数時間以内が多いですが、症状が現れるまでに数週間かかる場合もあり、数日から数週間症状が続くこともあります。
参考)有機リン中毒 - Wikipedia
有機リン中毒の詳しい中毒メカニズムと治療法について(医学界新聞)
医療従事者として特に注目すべき点は、ChEが術前検査として極めて重要な役割を果たすことです。筋弛緩薬サクシニルコリンの分解にChEが関与しているため、ChE活性が低い患者では麻酔後に長時間無呼吸を起こす危険性があります。
参考)一般の皆様 - よくある術前合併症 - 重症筋無力症の方|公…
遺伝性ChE欠損症は、日常生活には影響がない無症状の状態ですが、手術時には致命的なリスクとなります。BCHE遺伝子の変異により、スクサメトニウム(スクシニルコリン)やミバクリウムなどの筋弛緩薬に対して感受性が高くなり、神経筋ブロックが長引きます。
参考)ブチリルコリンエステラーゼ欠損症
また、本態性家族性高ChE血症では、逆に筋弛緩薬に対して抵抗性を示す可能性があり、適切な麻酔管理のためには事前のChE測定が不可欠です。ChE欠損症の保因者は、ブチリルコリンエステラーゼ酵素の活性が低下しており、通常は症状を示しませんが、特定の麻酔薬剤使用時に変異遺伝子の影響が顕著になります。
参考)遺伝性低コリンエステラーゼ血症の1症例
悪性腫瘍や急性重症感染症(敗血症など)は、ChE低値をきたす重要な病態です。各種の悪性腫瘍では、腫瘍による消耗性変化や肝転移による肝機能低下により、ChEが著明に低下します。
参考)コリンエステラーゼ(ChE)
ChEは慢性消耗性疾患全般で低下する傾向があり、膠原病、粘液水腫、下垂体・副腎不全、熱傷、天疱瘡、うっ血性心不全、潰瘍性大腸炎などでも低値を示します。これらの疾患では、全身の代謝亢進や炎症による蛋白消耗、肝臓での合成能低下などが複合的に作用します。
参考)https://www.shimane.med.or.jp/files/original/201701261610433660063.pdf
敗血症などの急性重症感染症では、炎症性サイトカインの産生亢進により肝臓での蛋白合成が抑制され、ChEが急激に低下します。また、心筋梗塞でもChE低値が認められることがあり、急性期の全身状態の把握に役立ちます。
参考)コリンエステラーゼ(ChE)とは? 検査結果から考えられる疾…
コリンエステラーゼの詳細な検査結果の見方(東京都医師会)
コリンエステラーゼは、肝機能と栄養状態を鋭敏に反映する優れた指標であり、医療従事者は低値の原因を多角的に評価する必要があります。肝硬変や慢性肝炎といった肝疾患、低栄養状態、悪性腫瘍、重症感染症、有機リン中毒など、多様な病態がChE低値の背景に存在します。特に術前検査としての重要性は高く、遺伝性欠損症のスクリーニングも含めて、患者の安全な周術期管理に不可欠な情報を提供します。ChE低値を認めた場合は、他の検査所見や臨床症状と合わせて総合的に判断し、適切な診断と治療介入を行うことが求められます。