トラネキサム酸(Tranexamic acid)は、1962年に岡本彰祐と岡本歌子により開発された人工合成アミノ酸である。分子式C8H15NO2、分子量157.21の白色結晶性粉末として存在し、水に易溶性という特徴を持つ。
本薬剤の最も重要な薬理作用は抗プラスミン作用である。プラスミンは線溶系の中心的酵素であり、フィブリン血栓を溶解する役割を担っている。トラネキサム酸はプラスミノーゲンのリジン結合部位に競合的に結合することで、プラスミンの生成を阻害し、既に形成されたプラスミンの活性も抑制する。
この作用機序により、トラネキサム酸は以下の効果を発揮する。
特に止血効果においては、凝固した血液を溶解されにくくする働きにより、出血性疾患の治療に重要な役割を果たしている。
トラネキサム酸は現在WHO必須医薬品モデル・リストに収録されており、世界的に重要な医薬品として位置づけられている。その幅広い適応症は以下の通りである。
外科領域での使用
内科領域での使用
特殊な適応
最近の研究では、静注鉄剤(デルイソマルトース第二鉄)との併用により、貧血を伴う大腿骨近位部骨折手術において輸血量の減少と貧血改善効果が得られることが報告されている。この組み合わせは患者血液管理(PBM:Patient Blood Management)の観点から期待される治療法として注目されている。
一般用医薬品としての使用
抗炎症成分として、リゾチームと並んで総合感冒薬に配合されることが多く、小児から高齢者まで幅広い年齢層で使用されている。
トラネキサム酸の副作用は比較的まれとされているが、医療従事者は以下の副作用について十分に理解しておく必要がある。
頻度別副作用分類
重大な副作用
0.1〜1%未満の副作用
0.1%未満の副作用
特殊な注意点
リボフラビン(ビタミンB2)を含有する製剤では、尿が黄色になることがある。これは無害な現象であるが、患者への事前説明が重要である。
薬物相互作用
トラネキサム酸は以下の薬剤との併用に注意が必要である。
投与経路と薬物動態
経口投与時の薬物動態は以下の通りである。
トラネキサム酸は非常に苦い味を有するため、経口投与時はカプセル剤として製剤化されることが多い。
トラネキサム酸使用において最も重要な安全性の考慮事項は血栓症リスクである。線溶系を阻害する作用機序から、血栓形成傾向のある患者では特に注意深い使用が求められる。
血栓症リスク要因を持つ患者
使用時の注意点
血栓のある患者や血栓を起こすおそれのある患者に使用する場合は、以下の点に留意する必要がある。
セトラキサート塩酸塩との関連
胃粘膜保護・修復成分であるセトラキサート塩酸塩は、体内で代謝されてトラネキサム酸を生じるため、血栓のある患者には同様の注意が必要である。この点は登録販売者試験でも頻出事項として知られている。
禁忌事項の詳細
添付文書に記載される禁忌事項には以下が含まれる。
モニタリング項目
血栓リスクの早期発見のため、以下の項目を定期的に監視することが推奨される。
近年、トラネキサム酸は従来の止血・抗炎症作用を超えて、美容医療分野での応用が注目されている。この新しい展開は、色素沈着抑制効果の発見により実現した画期的な応用例である。
肝斑治療における役割
肝斑(かんぱん)は主に妊娠・出産、ホルモンバランスの変化により生じる色素沈着である。トラネキサム酸は以下のメカニズムで肝斑改善効果を発揮する。
美白化粧品への応用
医薬部外品として承認された美白有効成分として、トラネキサム酸は多くの化粧品に配合されている。その効果は以下の通りである。
トランシーノ製剤の特徴
第一類医薬品として販売されているトランシーノ内服薬は、L-システイン、アスコルビン酸(ビタミンC)等との組み合わせにより、相乗効果を期待した製剤である。この組み合わせにより、より効果的な色素沈着改善が期待される。
美容医療での使用上の注意
美容目的での使用においても、血栓リスクの評価は重要である。
今後の展望
トラネキサム酸の新たな応用領域として、以下の研究が進んでいる。
参考リンク。
WHO必須医薬品リストにおけるトラネキサム酸の位置づけと国際的評価について
トラネキサム酸 - Wikipedia
HiFIT試験における静注鉄剤との併用効果に関する最新研究成果
本学教員のコメント論文が「Lancet Haematology」に掲載 - 福島県立医科大学
トラネキサム酸は、その多面的な薬理作用により、止血・抗炎症から美容医療まで幅広い分野で活用される重要な医薬品である。医療従事者は、適切な適応判断、副作用管理、特に血栓リスクの評価を十分に行いながら、患者にとって最適な治療を提供することが求められる。今後も新たな応用領域の開拓が期待される一方で、安全性の確保は常に最優先事項として位置づけられるべきである。