腹部圧痛の「部位」だけで診断を決めると、重篤疾患を見逃す確率が約30%に上るという報告があります。

腹部を9分割した区画(右季肋部・心窩部・左季肋部/右側腹部・臍部・左側腹部/右腸骨窩・下腹部・左腸骨窩)ごとに、存在する臓器と対応する疾患を把握することが診察の基本です。
圧痛点は「場所」が基本です。
たとえば右季肋部(RUQ)の圧痛は肝臓・胆嚢・十二指腸が主な原因臓器です。胆嚢炎ではマーフィー徴候が陽性となり、深吸気時に右季肋部を圧迫すると痛みで呼吸が止まります。この感度は約65%、特異度は約87%と報告されており、単純な「押して痛い」とは異なる質的評価が必要です。
心窩部(epigastric)は胃・十二指腸・膵臓・心臓が関わります。胃潰瘍や十二指腸潰瘍では食後・空腹時の変化が参考になりますが、急性心筋梗塞の約10%が心窩部痛として来院するという事実は見落としてはなりません。
左季肋部(LUQ)では脾臓・胃・膵体尾部の病変を考えます。脾臓梗塞や脾破裂では、ケール徴候(左肩への放散痛)が鑑別に役立ちます。
| 腹部区画 | 主な関連臓器 | 代表的疾患 |
|---|---|---|
| 右季肋部(RUQ) | 肝臓、胆嚢、十二指腸 | 急性胆嚢炎、胆管炎、肝膿瘍 |
| 心窩部 | 胃、膵臓、心臓(放散) | 胃潰瘍、急性膵炎、心筋梗塞 |
| 左季肋部(LUQ) | 脾臓、胃、膵体尾部 | 脾梗塞、膵体部炎、胃穿孔 |
| 右腸骨窩(RLQ) | 虫垂、回腸末端、右卵巣 | 急性虫垂炎、クローン病、卵巣捻転 |
| 左腸骨窩(LLQ) | S状結腸、左卵巣 | 憩室炎、過敏性腸症候群、卵巣嚢腫 |
| 下腹部正中 | 膀胱、子宮、前立腺 | 膀胱炎、子宮内膜症、前立腺炎 |
つまり区画と臓器の対応が診察の第一歩です。
診察手技を誤ると偽陰性・偽陽性が生じます。これは原則です。
マクバーニー点(McBurney's point)は、臍と右上前腸骨棘を結ぶ線の外側1/3の点です。急性虫垂炎の古典的圧痛点として知られており、1889年にCharles McBurneyが報告しました。ただし虫垂の位置は個人差が大きく、骨盤位・後腹膜位・肝下位など多様な変異があるため、マクバーニー点が陰性であっても虫垂炎を除外できません。感度は約50〜70%にとどまるというデータがあります。
ランツ点(Lanz point)は、左右の上前腸骨棘を結ぶ線の右側1/3の点で、虫垂炎でも陽性となりますが、骨盤位虫垂に特に有用とされています。
マーフィー徴候(Murphy's sign)は、患者に深呼吸をさせながら右季肋下縁を圧迫する手技です。胆嚢が横隔膜とともに下降し検者の指に当たって痛みが出ると陽性です。吸気の途中で痛みのため呼吸が止まる「呼吸停止」が特徴です。意外ですね。
これは使えそうです。
さらにブルンベルグ徴候(Blumberg's sign)、すなわち反跳痛は、腹膜炎の存在を示唆する所見です。ゆっくり押し込んだ後に急に離すと痛みが増強します。腹膜刺激症状として発赤・熱感・腫脹同様に重要視されますが、検者によるばらつきが大きいため、手技の標準化が求められています。
腹部圧痛は「お腹の中の問題」だけではありません。これが原則です。
腹腔外疾患でも腹部圧痛が出現する代表例を整理しておくと、臨床での診断ミスを大幅に減らせます。急性心筋梗塞・肺塞栓・下葉肺炎・帯状疱疹・糖尿病性ケトアシドーシス(DKA)・アジソン病などは、腹部所見を前景として来院することがあります。
たとえば下葉肺炎では横隔膜に炎症が波及し、心窩部〜側腹部の圧痛を呈することがあります。発熱・咳嗽・呼吸音の異なりから肺炎を疑わなければ、誤って外科コンサルトに至るケースも報告されています。
帯状疱疹は皮疹出現前(プレ段階)に、神経支配領域に一致した圧痛・痛覚過敏が先行します。T8〜T12領域の皮膚分節に対応した腹部圧痛として出現するため、皮膚所見がない段階での鑑別は難しいですね。
DKAは腹痛・嘔吐・悪心が主訴となり、腹部全体の圧痛を呈することがあります。血糖・血液ガスの迅速チェックが確認の第一歩です。
腹部圧痛の診察だけでなく、バイタル・既往歴・服薬歴を必ずセットで確認する習慣が、見逃しを防ぐ条件です。
圧痛の「質」を評価することが、重症度判定の鍵です。
腹部触診は軽触診(superficial palpation)から始め、異常があれば深触診(deep palpation)へ進みます。軽触診では皮膚・皮下組織レベルの過敏性や筋緊張を評価します。腹壁自体の疾患(ヘルニア・腹直筋鞘血腫など)もここで拾えます。
筋性防御(voluntary/involuntary guarding)の区別は重要です。随意性の防御は患者がリラックスすると消失しますが、不随意性の防御(腹膜刺激による反射性収縮)は持続します。触診前に「膝を曲げて、口で息をゆっくり吐いてください」と指示してリラックスさせてから再度評価すると、不随意性防御の有無を確認しやすくなります。
板状硬(board-like rigidity)は腹壁が木板のように硬直した状態で、汎発性腹膜炎を強く示唆します。消化管穿孔(胃潰瘍・大腸憩室炎など)でみられ、緊急手術の適応を考慮すべき所見です。板状硬は見逃し厳禁です。
深部圧痛の評価では、指を段階的に沈め込む「ディップ法」が有効です。押し込む深さを変えることで表在性圧痛と深部圧痛を分離して評価できます。深部圧痛が優位であれば腸間膜・後腹膜の病変を疑います。
参考:日本腹部救急医学会が提供する腹部身体診察の標準化に関するガイドラインも確認してください。
日本腹部救急医学会公式サイト(腹部救急診療ガイドライン関連情報)
典型的な圧痛所見が出にくい患者層がいます。これだけは例外です。
女性の右下腹部圧痛では、虫垂炎だけでなく卵巣疾患(卵巣捻転・卵管卵巣膿瘍・子宮外妊娠)を必ず鑑別に入れます。卵巣捻転は発症から6時間以内に手術しないと卵巣壊死に至るため、妊娠反応(尿中hCG)と骨盤腔エコーの迅速実施が必要です。時間が条件です。
高齢者では痛覚閾値が上昇しているため、重篤な病態でも圧痛が軽度にとどまることがあります。80歳以上の急性腹症患者では、古典的な腹膜刺激症状が欠如していても穿孔・絞扼性イレウスである可能性があります。「大して痛くない」という訴えを鵜呑みにしないことが基本です。高齢者の腹部は要注意ですね。
免疫抑制患者(ステロイド長期使用・臓器移植後・HIV感染者・化学療法中)では炎症反応が抑制されるため、CRPや白血球数が正常範囲内でも感染性・虚血性の急性腹症が進行していることがあります。軽微な圧痛と軽度の発熱であっても、積極的にCTや超音波検査を活用する姿勢が求められます。
妊婦では子宮の増大に伴い虫垂が右上方へ偏位します。妊娠後期にはマクバーニー点よりも高位(臍部〜右季肋部レベル)に圧痛が出現するため、圧痛点の解剖学的移動を念頭に置いた評価が必要です。
腹部圧痛点の評価は「教科書通り」に来ない患者にこそ、真価が問われます。特殊事情のある患者層を常に意識することが、診断精度の向上につながります。
日本産科婦人科学会(妊婦・婦人科急性腹症の診療ガイドライン関連情報)