酸塩基平衡は人体の恒常性維持において極めて重要な生理機能です。動脈血pHが正常範囲の7.35-7.45から逸脱すると、細胞内酵素活性や蛋白質機能に深刻な影響を与え、生命に危険をもたらします。
体液のpHバランスは主に肺と腎臓という2つの臓器によって調節されています。肺は呼吸によって二酸化炭素(CO2)を排出し、腎臓は重炭酸イオン(HCO3-)の再吸収と水素イオン(H+)の排泄を行います。この精密な調節システムにより、体内で産生される大量の酸性物質が中和され、恒常性が維持されています。
酸塩基平衡異常は、原因となる臓器によって呼吸性と代謝性に分類され、さらにpHの変化方向によってアシドーシス(酸性側への変化)とアルカローシス(アルカリ性側への変化)に分けられます。この4つの基本病型を正確に理解することが、臨床診断の出発点となります。
アルカローシスは体液のpHがアルカリ性側に傾く病態で、呼吸性アルカローシスと代謝性アルカローシスの2つに分類されます。
呼吸性アルカローシスは、過換気によってCO2が過度に排出されることで発症します。CO2 + H2O ⇄ H2CO3 ⇄ H+ + HCO3-という平衡反応において、CO2の減少により水素イオン濃度が低下し、pHが上昇します。
代謝性アルカローシスは、HCO3-の増加または酸の喪失により生じます。主な原因として以下があります。
病態の進行により、腎臓での代償性酸排泄機能が働きますが、電解質異常(特に低カリウム血症)が併存する場合、代償が不十分となり症状が遷延します。
アシドーシスは体液が酸性側に傾く病態で、生命予後に直結する重要な異常です。呼吸性アシドーシスと代謝性アシドーシスに大別され、それぞれ異なる病因と治療戦略が必要となります。
呼吸性アシドーシスは肺胞換気量の低下によりCO2が体内に蓄積することで発症します。原因疾患として。
代謝性アシドーシスは不揮発性酸の増加または塩基の喪失により生じ、アニオンギャップ(AG)の値によって分類されます。
AG開大性代謝性アシドーシス(AG > 12 mEq/L)
AG正常性代謝性アシドーシス(AG ≤ 12 mEq/L)
アシドーシスの臨床症状は重症度により段階的に進行し、pH 7.20以下では昏睡や循環不全といった生命に関わる合併症が出現するため、迅速な診断と治療が不可欠です。
血液ガス分析は酸塩基平衡異常の診断において最も重要な検査です。アルカローシスの診断には系統的なアプローチが必要で、以下の手順で解析を進めます。
Step 1: pH評価
Step 2: 一次性変化の同定
Step 3: 代償の評価
呼吸性アルカローシスの代償公式。
期待HCO3- = 24 - 0.4 × (40 - PaCO2)
代謝性アルカローシスの代償公式。
期待PaCO2 = 40 + 0.7 × (HCO3- - 24)
実際の症例解析例
pH 7.50、PaCO2 30 mmHg、HCO3- 22 mEq/L の場合。
このような系統的解析により、単純性か混合性かの判断が可能となり、適切な治療方針の決定につながります。血液ガス分析と同時に電解質(Na、K、Cl)の測定も必須で、特にアルカローシスでは低カリウム血症の合併頻度が高いため注意が必要です。
アシドーシスの重症度評価は患者の予後を左右する重要な判断です。pH値だけでなく、原因疾患、代償の程度、合併症の有無を総合的に評価する必要があります。
pH別重症度分類
アニオンギャップによる病型評価
AG = Na+ - (Cl- + HCO3-)
AG高値ほど重篤な原因疾患(ケトアシドーシス、乳酸アシドーシス、腎不全)の可能性が高く、迅速な原因検索と治療が必要です。
合併症リスク評価
特に注目すべきは、アシドーシスに伴う高カリウム血症で、pH 0.1低下ごとに血清カリウムが0.6 mEq/L上昇するとされています。ただし、AG開大性アシドーシスではこの関係が当てはまらない場合もあり、個別の評価が重要です。
重症アシドーシス患者では、原因治療と並行して支持療法(輸液、電解質補正、呼吸管理)を迅速に開始し、継続的なモニタリングにより治療効果を評価することが患者予後の改善につながります。
酸塩基平衡異常の鑑別診断には、病歴聴取、身体所見、検査所見を統合した系統的アプローチが必要です。特に混合性酸塩基異常や非定型例では、段階的な思考プロセスが診断精度の向上につながります。
病歴聴取のポイント
身体所見の重要ポイント
検査所見の統合解析
血液ガス分析に加えて以下の検査が診断に有用です。
鑑別診断フローチャート
このアプローチにより、複雑な病態でも見落としを防ぎ、適切な治療方針を立てることができます。特に救急外来や集中治療室では、迅速かつ正確な診断が患者予後を大きく左右するため、日頃からこの思考プロセスを習得しておくことが重要です。