タンパク質のリン酸化は、翻訳後修飾の中で最も広く研究されている生化学的反応の一つです。この反応では、キナーゼ(タンパク質キナーゼ)と呼ばれる酵素がATPのリン酸基を標的タンパク質の特定のアミノ酸に付加します。化学的には、ATPのリン酸基がアミノ酸のヒドロキシル基(OH基)を攻撃する形で反応が進行するため、OH基を持つアミノ酸のみがリン酸化を受けることができます。practice.dm-rg
リン酸化反応はATPのリン酸基をアミノ酸残基のヒドロキシ基に移動させ、共有結合を形成する活性を持っています。この過程は遺伝子発現変化を介さずに起こるため、細胞内での素早い応答を可能にする重要な特徴となっています。キナーゼはセリン、スレオニン、チロシンの3種類のアミノ酸を主にリン酸化しますが、その割合と生物学的重要性は大きく異なります。wikipedia+2
リン酸化の調節機構として、キナーゼ自身もリン酸化によってオン・オフの調節を受けることが知られています。これは他のキナーゼによって行われる場合もあれば、自分自身によって行われることもあり、後者は「自己リン酸化」と呼ばれます。これらの調節は活性化または抑制タンパク質の結合、低分子化合物の結合、細胞内での局在変化などによって引き起こされます。zaitsu-naika+1
タンパク質のリン酸化が起こるアミノ酸は、セリン(Ser:S)、スレオニン(Thr:T)、チロシン(Tyr:Y)の3種類に限定されています。これらのアミノ酸はいずれもヒドロキシル基を持つという共通の化学的特徴を有しており、この構造がリン酸化反応の基質要件となっています。practice.dm-rg
キナーゼがリン酸化するアミノ酸の99%以上はセリンとスレオニンであり、これらを標的とするセリン/スレオニンキナーゼ(EC 2.7.11.*)が細胞内リン酸化の大部分を担っています。一方、チロシンのリン酸化は全体の0.1%に満たない頻度ですが、細胞増殖、分化、シグナル伝達など生物学的に極めて重要な機能を制御しています。この量的な少なさと機能的な重要性のギャップは、チロシンリン酸化の特異性と制御の精密さを反映しています。bsd.neuroinf+2
微生物や植物では、ヒスチジンのイミダゾール環窒素原子をリン酸化するヒスチジンキナーゼ(EC 2.7.13)も存在します。センサーヒスチジンキナーゼは、自身のタンパク質リン酸化活性を通じてヒスチジン残基にリン酸基を付加し、このリン酸基が下流の因子に転移することでシグナルが伝わる仕組みを持っています。細菌や植物では、ヒスチジンをリン酸化されるタンパク質が数多く存在し、外界からのシグナルを細胞内で伝達する役割を担っています。nodai+3
セリン/スレオニンキナーゼは、セリンまたはスレオニンのヒドロキシ基をリン酸化する酵素群です。これらのキナーゼは以下の分子によって調節されています:wikipedia
セリン/スレオニンキナーゼの基質特異性は、特定のアミノ酸配列そのものに基づくものではなく、リン酸化される基質がキーとなる数個のアミノ酸(疎水結合やイオン結合)でキナーゼと結合することによって決定されます。そのため、通常これらのキナーゼはある性質を共有する「基質ファミリー」全体に対して特異性を示します。wikipedia
興味深いことに、ほとんどのセリン/スレオニンキナーゼは、本来の基質のようにキナーゼに結合するがリン酸化を受けるアミノ酸を欠く「擬似基質」によって阻害されます。擬似基質が除去されるとキナーゼは機能を回復するため、この機構は生理的な調節メカニズムの一つとして機能しています。セリン/スレオニンキナーゼの触媒部位は種を超えて高度に保存されており、進化的に古くから存在する重要な酵素であることが示されています。wikipedia
セリンとスレオニンのリン酸化は、さまざまなシグナル伝達経路と細胞機能に関与しており、細胞周期、増殖、アポトーシスおよびシグナル伝達経路といった多様な細胞プロセスの調節において重要な役割を果たしています。assaygenie+1
チロシンリン酸化は、細胞のシグナル伝達において極めて重要な役割を果たしています。チロシンキナーゼは受容体型と非受容体型に大別され、受容体型チロシンキナーゼは細胞外ドメイン、膜貫通ドメイン、細胞内のキナーゼドメインから構成されています。これらの受容体は成長因子などのリガンドが結合すると二量体化し、自己リン酸化を引き起こします。bsd.neuroinf
キナーゼドメインには自己リン酸化部位およびATP結合部位が含まれており、自己リン酸化によってキナーゼ活性が調節されています。自己リン酸化により生じたリン酸化チロシン残基は、SH2ドメインやPTBドメインを持つシグナル伝達分子の結合部位となり、下流のシグナル伝達カスケードを活性化します。bsd.neuroinf
チロシンリン酸化の神経機能における役割としては、以下のような多様な制御機構が報告されています:bsd.neuroinf
これらに伴い、神経可塑性と個体レベルの行動に変化が起こることが知られています。また、神経回路、神経筋接合部やミエリン構造の形成、樹状突起の形態形成や軸索伸長などの発生過程においても、チロシンリン酸化依存的な制御が重要な役割を果たしています。bsd.neuroinf
非受容体型チロシンキナーゼは膜貫通領域を持たず、主に細胞膜近傍に存在し、受容体や接着因子からのシグナルの伝達役として機能しています。チロシン制御の異常は、がんを始めとした様々な疾患の原因となることが知られており、がん治療の重要な標的となっています。chiba-u+1
リン酸化反応は、その発生機構によって「酸化的リン酸化」と「基質レベルリン酸化」の2つの主要なタイプに分類されます。酸化的リン酸化は、ミトコンドリアの電子伝達系において起こるエネルギー産生の中心的プロセスです。この経路では、電子伝達鎖を通じてプロトンがミトコンドリアの内膜を越えて移動し、最終的にATP合成酵素(ATPシンターゼ)がADPと無機リン酸からATPを合成します。minerva-clinic+2
酸化的リン酸化は、NADH(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)やFADH2(フラビンアデニンジヌクレオチド)などの電子供与体が酸化される過程と、ADP(アデノシン二リン酸)がATPにリン酸化される過程が共役していることから名付けられました。1分子のグルコースが完全に酸化されると、約30分子のATPが生成されますが、この過程は細胞質ゾルで起こる解糖と、ミトコンドリアで起こるTCAサイクルから酸化的リン酸化という複数のステップを経て実現されます。wikipedia+2
一方、基質レベルのリン酸化は、解糖系やクエン酸回路において直接的にATPを生成するメカニズムです。解糖のプロセスでは、グルコースが一連の酵素反応によって2つのピルビン酸分子に分解される過程で、2つの特定のステップで基質レベルのリン酸化が発生します。具体的には、ホスホエノールピルビン酸(PEP)からピルビン酸への変換では、酵素ピルビン酸キナーゼがPEPからADPへのリン酸基の転移を触媒し、ピルビン酸とATPを形成します。また、1,3-ビスホスホグリセリン酸(1,3-BPG)から3-ホスホグリセリン酸(3-PG)への変換では、ホスホグリセリン酸キナーゼがリン酸基の転移を促進し、ATPと3-PGを生成します。assaygenie
これら2つのリン酸化機構は、細胞のエネルギー代謝において相補的な役割を果たしており、酸化的リン酸化が大量のATPを効率的に産生する一方、基質レベルのリン酸化は酸素が不足している条件下でも迅速にATPを供給できる利点があります。minerva-clinic+1
リン酸化研究は、がん精密医療の実現に向けて重要な進展を遂げています。国立がん研究センターと医薬基盤・健康・栄養研究所の共同研究により、内視鏡検査で採取した微量の生検検体から1万個を超えるリン酸化部位を測定し、患者毎のリン酸化シグナルの特性を明らかにする技術が開発されました。ncc
この技術では、内視鏡用の生検鉗子を用いて採取された生検検体を採取後20秒以内に液体窒素で凍結させることで、リン酸化シグナルの変化を極力抑えたサンプルの採取が可能となっています。5名の胃がん患者からそれぞれがん部・非がん部を採取し、生検検体に特化したリン酸化プロテオーム解析によって合計で10,162個のリン酸化部位が同定されました。ncc
がん部と非がん部ではリン酸化プロファイルが大きく異なり、がん部位では以下のような特徴が確認されました:ncc
特に重要な発見は、リン酸化情報から取得したキナーゼ活性プロファイルが患者毎に高い特異性を示したことです。この結果は、がんの増殖や薬剤感受性を決定するリン酸化酵素の活性を評価することで、個々の患者に最適な治療法を選択する「がん精密医療」の実現可能性を示しています。ncc
翻訳後修飾であるリン酸化が、核小体などの細胞内非膜型オルガネラの構造形成および機能発現で重要な役割を果たす「液-液相分離」を制御する新たな仕組みも明らかになっています。リン酸基による負電荷の付加が天然変性タンパク質の「電荷ブロック」を増減させることで、液-液相分離を正または負に制御していることが判明しました。核小体は細胞増殖、ウイルス増殖、自然免疫反応、がん、ストレス応答に関係する非膜型オルガネラであり、この知見に基づく作用機序の解明や新たな治療法の開発が期待されています。amed
国立がん研究センター:体内でのがんリン酸化シグナルを高精度に定量する技術開発に関する詳細な研究成果
糖尿病・内分泌プラクティスWeb:リン酸化によるシグナル伝達の基礎知識と臨床応用