前駆細胞(progenitor cell)は、幹細胞から発生し、最終分化細胞へと分化することのできる細胞です。幹細胞が最終的な成熟細胞にいきなり変化するのではなく、一度前駆細胞という中間段階を経由してから最終形態に至るという段階的なプロセスをたどります。前駆細胞の最も重要な特徴は、分化の方向性があらかじめ決定されている点にあり、幹細胞のように「あらゆる細胞」に分化することはできません。例えば、血液系の前駆細胞は血液細胞にのみ、神経系の前駆細胞は神経系の細胞にのみ分化する能力を持っています。stemcells+2
前駆細胞は現段階では厳密な統一された定義がないものの、一般的には「分化した細胞をつくりだし臓器組織の発生再生に貢献しうる細胞で、自己増殖能は証明されていないもの」と考えられています。前駆細胞もある程度の増殖能力を持ちますが、幹細胞ほど無限に自己複製できるわけではなく、分裂回数や増殖能力に制限がかかっており、いずれは分化の道を辿ります。前駆細胞は「未分化だけれど分化の方向性は決まっている細胞」とまとめることができ、幹細胞と最終分化細胞の中間に存在する細胞といえます。saisei-soudan+3
幹細胞(stem cell)は、自己複製能(self-renewal potency)と分化能(differentiation potency)という2つの重要な能力を持ち、体内の組織や器官を構成する様々な細胞へ変化できる細胞です。自己複製とは、幹細胞が複数の細胞分裂の周期を経ても未分化状態を維持したまま自らと同じ細胞を作り出す能力を指します。人間の体内には約37兆個の細胞があり、血液や皮膚をはじめとした多くの細胞は日々新しく生まれ変わっていますが、この細胞の生まれ変わりを支えるのが幹細胞の役割です。interphex+1
幹細胞は無限にコピーが可能な自己複製の能力と、異なる細胞に変化する分化の能力により、失われた細胞を補充して恒常性を保っています。例えば、骨髄には造血幹細胞と呼ばれる組織幹細胞があり、酸素運搬を担う赤血球や免疫を担う白血球など、日々失われていく血液細胞を生み出して供給しています。幹細胞は大きく多能性幹細胞と組織幹細胞(体性幹細胞)に分けられ、多能性幹細胞にはES細胞やiPS細胞があり、組織幹細胞には造血幹細胞、神経幹細胞、間葉系幹細胞などが含まれます。自己複製能の異常活性化は、白血病などの血液がんに繋がることが知られており、幹細胞の制御機構の解明は医療上重要な課題となっています。saiseiiryo+2
前駆細胞と幹細胞の分化能には明確な違いがあり、これが両者を区別する重要な特徴となっています。幹細胞は未分化状態であり、様々な刺激や条件によって分化を開始し、多様な細胞種に分化できる能力(多能性または多分化能)を持っています。一方、前駆細胞は分化の方向性が既に決定されており、何にでも分化できるわけではなく、特定の系列の細胞にのみ分化する能力に制限されています。stemcells+1
しかし、幹細胞と前駆細胞の境界線は必ずしも明確ではありません。幹細胞の中にも全能性を持たず、ある方向にしか分化できない成体幹細胞が存在し、このことが両者の区別をさらに複雑にしています。成体幹細胞の代表例として皮下脂肪内に含まれている脂肪幹細胞がありますが、この幹細胞は人為的な加工をしない限り心筋細胞などには分化できません。成体幹細胞と前駆細胞は共に多能性を持たず、オリゴポテント(少能性)として認識されているため、場合によっては同じものとして扱われることもあり、多くの成体幹細胞は前駆細胞として扱うべきという意見も存在します。stemcells
それでも、前駆細胞は自己複製能に制限がかかっているため、自己複製能の制限が緩い成体幹細胞とは異なるものであると考えられることが多くなっています。神経前駆細胞を例にとると、神経幹細胞と比較して分化能が限られており、限られた分裂回数の後に分化を遂げるように運命付けられた細胞として定義されます。また、神経前駆細胞が「未分化(未成熟)」かつ「増殖性」の細胞であるのに対して、神経細胞は「分化し」かつ「増殖性を失った」細胞であり、明確な違いが存在します。lonzabio+4
前駆細胞には組織や臓器ごとに様々な種類が存在し、それぞれが特定の最終分化細胞への分化に特化しています。造血系においては、造血幹細胞から多能性前駆細胞(multipotent progenitor: MPP)が生まれ、さらに骨髄系共通前駆細胞(common myeloid progenitor: CMP)とリンパ系共通前駆細胞(common lymphoid progenitor: CLP)に分化します。CMPは顆粒球・マクロファージ前駆細胞(granulocyte-macrophage progenitor: GMP)と巨核球・赤芽球前駆細胞(megakaryocyte-erythrocyte progenitor: MEP)へさらに分化し、それぞれが好中球、単球、巨核球、赤血球などの成熟血液細胞を生み出します。chugaiigaku
神経系においては、大脳皮質を構成するグルタミン酸作動性の神経細胞には、未分化型前駆細胞、中間型前駆細胞、oRG前駆細胞という3種類の細胞が分化に関与しています。未分化型前駆細胞(apical progenitor)は脳室面で分裂し、非対称分裂によってより分化の進んだ中間型前駆細胞(basal progenitor)を生み出します。中間型前駆細胞は大脳皮質の層形成や領野形成に非常に重要な役割を果たし、この細胞の増殖が活発であることが霊長類の大脳皮質表面積に必須である可能性が指摘されています。cdb.riken+1
その他の前駆細胞の例として、芽球はB細胞やT細胞の免疫応答に必要な前駆細胞とされ、筋肉中に存在する衛星細胞は筋肉細胞への分化や創傷治癒に必要とされる前駆細胞です。骨芽細胞や軟骨芽細胞に分化できる前駆細胞は主に骨膜に含まれています。特に医療応用の観点から重要な前駆細胞として、1型糖尿病の治療に期待される膵臓の前駆細胞、骨折や創傷治癒に重要な血管前駆細胞と血管内皮前駆細胞、様々な脳関連研究で注目されている神経前駆細胞が挙げられます。stemcells
前駆細胞は再生医療において、幹細胞とは異なる独自の利点を持つため、臨床応用が積極的に進められています。幹細胞は分化能の高さから、移植しても組織などに定着が難しい場合があり、その理由は移植先の組織にとって幹細胞の性質が異なりすぎているため、定着しない、または排除するという方向に働いてしまう傾向があるためです。一方、前駆細胞は将来的に特定の細胞に分化する運命が細胞の性質などに既に表れてきているため、移植した時に定着率が高くなることが期待できます。stemcells
パーキンソン病治療においては、ヒトiPS細胞由来ドパミン神経前駆細胞の臨床応用が進められており、脳卒中や外傷性脳損傷による脳神経障害に対する神経前駆細胞移植も一部の動物モデルで有効性が示され、ヒトへの応用が期待されています。研究グループは、成長因子プログラニュリン(PGRN)でヒトiPS細胞由来脳オルガノイドを前処理すると、マウスの脳に移植した際に細胞の生着と神経突起伸長の両方を改善することを明らかにしました。cira.kyoto-u+2
京都大学iPS細胞研究所におけるiPS細胞由来ドパミン神経前駆細胞を用いたパーキンソン病治療の臨床研究
腎臓再生においても前駆細胞の応用が進んでおり、ネフロン前駆細胞から腎臓再生に成功した研究では、既存のネフロン前駆細胞を薬剤誘導システムにより除去することで、外来性の前駆細胞から腎機能を持った成熟腎臓を再生することに成功しています。また、慢性腎臓病に対する細胞治療では、ヒトiPS細胞から作製した腎前駆細胞を増殖させる培養法の開発と目的細胞のみを選別する技術が開発されています。細胞移植が必要な治療では、幹細胞を人工的に分化誘導して前駆細胞の段階まで分化させておき、ある程度の分化方向性が決定されているが、まだ分化においては柔軟性がある状態にして移植させるという手法が近年使われ始めています。amed+2
造血系においても、ヒトiPS細胞から造血前駆細胞を効率良く作り出すための研究が進められており、CD38という細胞膜タンパクを発現している造血前駆細胞は極めて旺盛な細胞増殖能を有し、少数の造血幹前駆細胞から大量の単球、マクロファージ、顆粒球を効率的に産み出すために必要な細胞であることが明らかになっています。血管再生においては、血管内皮前駆細胞の細胞移植と遺伝子治療を組み合わせた方法の臨床応用も検討されており、末梢血CD34陽性細胞を用いた心・血管・骨再生研究の動向とその臨床応用が進められています。igakuken+2
| 前駆細胞の種類 | 臨床応用分野 | 特徴 |
|---|---|---|
| 神経前駆細胞 | パーキンソン病、脳卒中、外傷性脳損傷 | 神経系細胞への分化に特化、脳組織への定着率向上が期待されるcira.kyoto-u+1 |
| ネフロン前駆細胞 | 腎臓再生、慢性腎臓病 | 腎機能を持つ成熟腎臓の再生が可能amed+1 |
| 造血前駆細胞 | 白血病、血液疾患 | 旺盛な細胞増殖能を持ち、大量の血液細胞を産生igakuken |
| 血管内皮前駆細胞 | 心血管疾患、虚血性疾患 | 血管再生を促進、遺伝子治療との組み合わせも検討jstage.jst+1 |
| ドパミン神経前駆細胞 | パーキンソン病 | iPS細胞から作製、臨床研究が進行中cira.kyoto-u+1 |
前駆細胞は幹細胞と同様に再生医療に有用な細胞と考えられ、前駆細胞までの分化誘導方法、そして前駆細胞の状態である程度の期間キープさせる(最終分化細胞に分化しない状態で移植したいため)方法などが盛んに研究されています。ES細胞よりも分化が進んだ前駆細胞を用いることで、ナイーブ型多能性幹細胞を用いなくてもキメラ動物作製が可能になり、目的以外の臓器形成を回避できることも示されています。amed+1