チトクロームとシトクロムは、実は全く同じタンパク質を指す言葉で、表記の違いだけです。英語の「cytochrome」という言葉を日本語でどう発音するかの違いによって生まれた表記のバリエーションとなります。この用語は1925年にイギリスの生化学者デーヴィッド・ケイリンによって提唱され、「細胞の色素」を意味する「cyto(細胞)」と「chrome(色)」に由来しています。
参考)シトクロム - Wikipedia
医学文献や医療現場では「シトクロム」という表記が一般的に使用されており、厚生労働省の議事録でも「サイトクロム、チトクロム、シトクロムと3種類が出てくる」との記述が見られます。英語圏では「サイトクローム」という発音が普通ですが、日本では「シトクロム」が最も広く受け入れられています。チトクローム、チトクロームという表記もありますが、これらはあまり一般的ではありません。
参考)https://www.mhlw.go.jp/content/shingi___2007___04___txt___s0424-1.txt
実際の医療現場や研究論文では、どの表記を使用しても意味は同じであり、誤解を招くことはありません。ただし、統一性の観点から、同一文書内では一つの表記に統一することが推奨されます。
参考)チトクロム(ちとくろむ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
シトクロムは酸化還元機能を持つヘム鉄を含有する、ヘムタンパク質の一種です。この分子は含有しているヘムの種類によって明確に分類され、シトクロムa(フォルミルポルフィリン鉄)、シトクロムb(プロトポルフィリン鉄)、シトクロムc(メソポルフィリン誘導体鉄)、シトクロムd(ジヒドロポルフィリン鉄)の4つの主要なタイプに分けられます。
参考)シトクロム - 光合成事典
各シトクロムの分類は、ヘムの側鎖の違いによって決定されます。ヘムAをもつものはシトクロムaa3、ヘムCをもつものはシトクロムcのように、ヘムの種類と対応しています。シトクロムの名称は、分類のほかに生物種名や長波長の吸収帯のナノメートル数で付けられることが多いという特徴があります。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/45/10/45_10_697/_pdf/-char/ja
ヘムタンパク質の中でも、シトクロムはヘム鉄の原子価の変化(Fe²⁺⇄Fe³⁺+e⁻)が直接機能に関係している点で、ヘモグロビンなどとは異なる特徴を持ちます。この酸化還元反応の可逆性が、電子伝達系における重要な機能の基盤となっています。
参考)https://mh.rgr.jp/memo/mz0225.htm
シトクロムは、ミトコンドリア内膜に存在する電子伝達系(呼吸鎖)において中心的な役割を果たしています。電子伝達系では、NADH-ユビキノンオキシドレダクターゼ(複合体I)、コハク酸デヒドロゲナーゼ(複合体II)、ユビキノール-シトクロムcオキシドレダクターゼ(複合体III)、シトクロムcオキシダーゼ(複合体IV)という4つの主要な膜結合型タンパク質複合体が関与します。
参考)ミトコンドリア呼吸鎖(電子伝達系)複合体と活性酸素種 
シトクロムcは複合体IIIから1電子を受け取り、複合体IVに1電子を引き渡す可溶性の電子運搬体として機能します。この電子の受け渡しは、シトクロムcがミトコンドリア内膜表面を二次元的に拡散移動することで行われます。複合体IVでは、シトクロムcが酸化され、最終的に酸素分子に電子を伝達することで水に還元されます。
参考)シトクロムc - Wikipedia
この一連の電子伝達過程で、プロトンがミトコンドリアマトリックスから膜間腔に汲み出され、形成されたプロトン勾配を利用してATPが産生されます。シトクロムcの電子伝達効率は、呼吸鎖超複合体の形成によってさらに向上し、シトクロムcの拡散距離が短縮されることで電子伝達速度が増加することが明らかになっています。
参考)https://www.pharm.or.jp/words/word00622.html
シトクロムcは、細胞呼吸だけでなく、アポトーシス(プログラム細胞死)においても決定的な役割を果たす多機能性タンパク質です。細胞がアポトーシス誘導刺激を受けると、ミトコンドリアからシトクロムcが細胞質へ放出されます。この放出は、細胞内のカルシウムイオン濃度が上昇することで、ミトコンドリアPTP(permeability transition pore)の開口が促されることによります。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10969761/
細胞質中に放出されたシトクロムcは、Apaf-1というアダプタータンパク質と結合し、dATPまたはATPの存在下でアポトソームと呼ばれる七量体複合体を形成します。このアポトソームがカスパーゼ9と呼ばれるシステインプロテアーゼを活性化し、カスパーゼカスケードを誘導します。活性化されたカスパーゼ9はカスパーゼ3とカスパーゼ7を活性化し、最終的にアポトーシスを引き起こします。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4047465/
興味深いことに、シトクロムcは14-3-3εタンパク質と相互作用することで、Apaf-1の阻害を解除し、カスパーゼカスケードの活性化を加速させるという新たな機能も発見されています。シトクロムcのアポトーシスにおける機能は、リン酸化やアセチル化などの翻訳後修飾によって厳密に制御されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5840378/
シトクロムP450(CYP)は、シトクロムの中でも特に医療分野で重要な酵素群です。この名称は、還元状態で一酸化炭素と結合して450nmに吸収極大を示す色素(pigment)であることに由来します。シトクロムP450は、主に肝臓のミクロソームに存在し、身体が取り込んだ薬物を酸化反応により分解し、体外に排出しやすい形にする薬物代謝酵素として働きます。
参考)https://www.pharm.or.jp/words/word00609.html
ヒトに投与される薬物の代謝反応の約80%がシトクロムP450に関与すると言われています。ヒトは約60種類のシトクロムP450酵素を作り、それぞれが異なる薬物分子に作用します。シトクロムP450は主に肝臓に存在しますが、腎臓、肺、消化管、副腎、脳、皮膚などほとんどすべての臓器に少量ながら存在することが確認されています。
参考)CYP(薬物代謝酵素)とは 
シトクロムP450遺伝子の多型により、各種薬物の代謝速度に個人差が現れることが解明されており、これは個別化医療の重要な基盤となっています。酵素活性が低い場合は薬物の血中濃度が必要以上に高くなり副作用が強く出る可能性があり、逆に酵素活性が高い場合は薬の効き目が悪くなる可能性があります。患者の薬物代謝酵素の特性を知ることが、患者に合った薬の選択につながると考えられています。
日本薬学会 シトクロムP450の詳細解説 - 薬物代謝における酵素の役割と分類についての専門的な情報
Wikipedia シトクロムc - 電子伝達系とアポトーシスにおける機能の包括的な説明
東邦大学 ミトコンドリア呼吸鎖複合体と活性酸素種 - 電子伝達系の詳細なメカニズムと生理的意義