アセチルコリンが結合する受容体は、コリン作動性受容体と呼ばれ、ムスカリン受容体とニコチン受容体の2種類に大別されます。この分類は、それぞれの受容体に特異的に作用するアゴニスト(作動薬)の名前に由来しており、ベニテングダケに含まれるムスカリンがムスカリン受容体に、タバコに含まれるニコチンがニコチン受容体に結合することから命名されました。
参考)自律神経系の化学伝達物質と受容体|神経系の機能
両受容体の最も大きな違いは、その基本的な構造にあります。ムスカリン受容体はGタンパク質共役型受容体であり、細胞膜を7回貫通する構造を持ち、Gタンパク質を介して細胞内シグナル伝達を行います。一方、ニコチン受容体はイオンチャネル型受容体として、アセチルコリンが結合することで直接イオンチャネルが開口し、Na⁺やK⁺、Ca²⁺などのイオンを透過させる仕組みを持っています。
参考)アセチルコリンとは? 受容体や関連疾患・抗コリン作用について…
神経終末から放出されたアセチルコリンは、標的器官や細胞に存在するこれらの受容体に結合することで、様々な生理的反応を引き起こします。アセチルコリンは両方の受容体タイプに作用できますが、受容体の構造と分布の違いにより、全く異なる生理機能を制御しています。
参考)アセチルコリン受容体 - Wikipedia
ムスカリン受容体にはM1からM5までの5種類のサブタイプが存在し、それぞれが異なる組織分布と薬理作用を持っています。これらのサブタイプはアミノ酸配列の類似性から、M1、M3、M5サブファミリーとM2、M4サブファミリーの2つのグループに分類されます。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3749793/
M1受容体は大脳皮質や海馬に多く存在し、記憶や学習に関与していると考えられています。また、胃や腺組織、交感神経にも分布しています。M2受容体は主に心臓に分布し、心臓収縮力の低下や心拍数の減少といった抑制的な作用を示します。後脳や平滑筋にも存在し、中枢神経や心臓の機能を抑制的に制御する役割を果たしています。
参考)ヒトのムスカリン性アセチルコリン受容体M2サブタイプのX線結…
M3受容体は消化管の平滑筋や腺に主に分布しており、アセチルコリンと結合して活性化すると消化管運動や消化液分泌を促進します。M1、M3、M5受容体はGqタンパク質と共役し、ホスホリパーゼCの活性化を介してシグナル伝達を行うのに対し、M2とM4受容体はGi/Goタンパク質と共役し、アデニル酸シクラーゼの阻害とK⁺チャネルの開口を引き起こします。
参考)ムスカリン受容体 (生体の科学 42巻5号)
ムスカリン受容体は副交感神経が作用する効果器官に広く分布しており、副交感神経末梢の節後線維で器官側細胞の受容体として機能しています。同じアセチルコリンによる刺激に対して臓器によって異なる反応が起こるのは、受容体サブタイプの分布の違いと、受容体刺激後に起こる細胞内反応機構が臓器ごとに異なるためです。
参考)アセチルコリンとアセチルコリン受容体 ~副交感神経を中心に~…
ニコチン受容体は4回膜貫通型サブユニットが5量体を形成する構造を持ち、アゴニストが結合するαサブユニット(α1~α10)により受容体サブタイプが分類されています。脊椎動物では、主要な発現部位に基づいて筋肉型(NM)と神経型(NN)に大きく分類されます。
参考)アセチルコリン受容体のイオン作動性・代謝作動性の働き (生体…
筋肉型ニコチン受容体(NM受容体)は神経筋接合部に存在し、骨格筋収縮作用を発揮します。この受容体は運動神経から筋肉への刺激伝達において中核的な役割を果たしており、α1、β1、γ、δサブユニットからなる胚型、またはα1、β1、δ、εサブユニットからなる成体型が存在します。主にNa⁺とK⁺イオンを透過させ、骨格筋の収縮を引き起こします。
参考)ニコチン性アセチルコリン受容体 - Wikipedia
神経型ニコチン受容体(NN受容体)は自律神経節や中枢神経系に分布し、12種類のサブユニット(α2-α10、β2-β4)の様々な組み合わせから構成されます。自律神経節に発現する主要なサブタイプはα3であり、中枢神経系にはα4およびα7受容体サブタイプが高発現しています。神経型受容体はNa⁺、K⁺イオンだけでなくCa²⁺イオンに対しても高い透過性を示す点が特徴的です。
参考)ニコチン受容体 (生体の科学 49巻5号)
脳や自律神経節にはニコチン受容体とムスカリン受容体の両方が存在し、節後線維の興奮作用を発揮しています。このように、自律神経節ではニコチン受容体が重要な役割を果たし、節前線維から節後線維への神経伝達を媒介しています。一方、副交感神経の効果器官ではムスカリン受容体が主要な役割を担うという明確な機能分担が存在します。
参考)循環器用語ハンドブック(WEB版) アセチルコリン
ムスカリン受容体とニコチン受容体は、様々な疾患の治療標的として重要な位置を占めています。ムスカリン受容体のサブタイプ選択的な薬剤開発は、副作用を軽減しながら治療効果を高める上で鍵となっています。
過活動膀胱の治療では、ムスカリン受容体拮抗薬が広く使用されています。膀胱平滑筋にはM2受容体とM3受容体が主に存在し、その比率はおよそ3:1ですが、収縮に関与するのは主にM3受容体です。M3受容体選択性の高い抗コリン薬を使用することで、心臓に多く分布するM2受容体への影響を最小限に抑え、より安全な治療が可能になります。
参考)302 Found
重症筋無力症の治療では、アセチルコリンエステラーゼ阻害薬が第一選択薬として用いられます。この薬剤は、神経筋接合部でアセチルコリンを分解する酵素の働きを抑制することで、アセチルコリンの量を増やし、ニコチン受容体への刺激を強めます。これにより、自己抗体によって減少したアセチルコリン受容体の機能低下を部分的に補償できます。
参考)アセチルコリンエステラーゼ
日本血液製剤機構の重症筋無力症情報サイト - 抗コリンエステラーゼ薬を含む各種治療法の詳細
統合失調症の治療においても、コリン作動性システムが注目されています。最近の研究では、ムスカリン受容体作動薬が統合失調症の症状改善に有効であることが示されており、M1/M4選択的作動薬であるKarXTが第3相臨床試験に成功しました。ムスカリン作動薬はPANSS総スコア、陽性症状、陰性症状の改善を示し、従来のドパミン系薬剤とは異なる作用機序で治療効果を発揮します。一方、ニコチン作動薬も陰性症状の改善に寄与することが報告されています。
参考)統合失調症に対するコリン作動薬の有用性~RCTメタ解析|医師…
CareNet - 統合失調症に対するコリン作動薬のメタ解析結果
近年の研究により、ムスカリン受容体とニコチン受容体の活性化が、従来知られていた神経伝達以外の重要な生理機能にも関与していることが明らかになってきました。
特に注目すべきは、ニコチン受容体の血管新生作用です。ニコチンは臨床的に関連する濃度(軽度から中程度の喫煙で生じる組織および血中濃度)で強力な血管新生作用を示し、腫瘍血管新生と腫瘍成長を促進することが発見されました。この作用は線維芽細胞増殖因子と同程度の強さであり、ニコチンが内皮細胞の遊走、増殖を促進することで血管新生を誘導します。この発見は、喫煙と癌の関連性を理解する上で重要な機序的関連を示しています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2673464/
また、肺癌の発症においても、ニコチン受容体が予想外の役割を果たしていることが判明しています。肺癌のEGFR(上皮成長因子受容体)経路の基本部分にα1ニコチン受容体が関与しており、ニコチン性および ムスカリン性アセチルコリン受容体の両方が小細胞肺癌と非小細胞肺癌の成長を刺激します。扁平上皮肺癌では、α5やβ3ニコチン受容体のmRNAレベルが上昇し、コリンアセチルトランスファラーゼのmRNAレベル増加に伴うアセチルコリンの増加が認められました。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/30d0ab2894b82321a62538bca9b7cc4f4b4778b1
消化管腫瘍においても、ニコチン受容体とムスカリン受容体の活性化が腫瘍の誘導と進行に関連していることが示されています。特にM3受容体の活性化は、消化管腫瘍の増殖シグナルに関与している可能性が指摘されており、M1とM3受容体を組み合わせた選択的標的化が、消化管および肝臓疾患の新たな治療アプローチとして期待されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11120676/
MDPIジャーナル - 消化管腫瘍におけるコリン作動性機序の詳細(PDF)
疼痛制御においても、両受容体の興味深い機能が明らかになっています。ラット皮膚の侵害受容性求心線維を用いた研究では、ニコチンがC侵害受容器を弱く興奮させ、熱刺激に対する軽度の感作を引き起こす一方、ムスカリンは侵害受容器の有意な興奮を誘発しないものの、ほぼすべての線維で機械的および熱刺激に対する顕著な脱感作を示すことが判明しました。脊髄レベルでの侵害受容制御においては、M2とM4サブタイプ(M3ではない)が重要な役割を果たしていることがsiRNA研究により機能的に証明されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6762575/
唾液腺分泌の制御機構においても、ムスカリン受容体は従来考えられていた以上に複雑な役割を果たしています。顎下腺では、ムスカリン受容体が上皮細胞の経細胞経路および傍細胞経路の両方を介して唾液分泌を制御し、さらに内皮細胞のタイトジャンクションの開口にも関与していることが明らかになりました。また、副交感神経除去が長期的には安静時の唾液分泌を増加させるという予想外の結果も報告されており、ムスカリン受容体を介した唾液腺機能の調節が、重度の乾燥性角結膜炎などの治療戦略として有望であることが示されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7439034/
ライフサイエンス統合データベース - ムスカリン受容体M2サブタイプのX線結晶構造解析