グラム染色は、細菌の細胞壁構造の化学的特性に基づいた染色法で、1884年にデンマークのハンス・グラムによって考案されました。この染色法の原理は、細菌の細胞壁の厚さの違いによって細菌を2つのグループに分類するものです。グラム陽性菌はペプチドグリカンという物質でできた厚くて多層の細胞壁を持っており、グラム陰性菌は薄い細胞壁の外側にリポ多糖層を持つ外膜が存在します。
参考)染色法|細菌の検査 各論|神奈川県衛生研究所
染色プロセスでは、まずクリスタルバイオレットやビクトリアブルーなどの紫色の色素で細菌を染色し、次に媒染剤で色素を固定します。その後、アルコールやアセトンなどの脱色剤を使用すると、細胞壁が厚いグラム陽性菌は紫色を保持しますが、細胞壁が薄く脂質を多く含むグラム陰性菌は脱色されて無色になります。最後にサフラニンやフクシンなどの赤色の対比染色を行うことで、グラム陰性菌が赤色に染まり、2種類の細菌が明確に区別されます。
参考)グラム染色で染まる原理は? - カーブジェン+
フェイバー法(西岡変法)は、通常のグラム染色法とは異なる特徴的な試薬構成を持っています。前染色にはビクトリアブルー液(0.2%ビクトリアブルー溶液にシュウ酸アンモニウムを増強剤として添加)を使用し、グラム陽性菌を青色に染色します。この方法の最大の特徴は、媒染液と脱色液があらかじめ混合された20%ピクリン酸ナトリウムとエタノールの混合液を使用することです。
参考)https://toringi.sakura.ne.jp/images/pdf/info/wsf-1.pdf
具体的な操作手順は以下の通りです。まず、スライドガラスに検体を薄く均一に塗抹し、自然乾燥後に火炎固定またはメタノール固定を行います。次にビクトリアブルー液で1分間染色し、水洗後にピクリン酸エタノール液を満載してビクトリア青の青色が溶け出さなくなるまで繰り返します。ピクリン酸はグラム陽性菌の媒染剤として機能し、同時にエタノールが脱色剤として作用するため、媒染と脱色を同時に行うことができます。最後にフクシン液またはサフラニン液で1分間後染色し、水洗・自然乾燥後に顕微鏡で観察します。
参考)グラム染色で細菌を分類する方法とその原理|(株)愛研|水質や…
現在臨床で使用されているグラム染色法には、主にハッカー変法、バーミー法(Bartholomew & Mittwer法)、フェイバー法(西岡変法)の3種類があります。ハッカー変法はグラム染色の標準的な方法とされ、蓚酸アンモニウムを添加したハッカー液で染色し、ルゴール液で媒染、エタノールまたはアセトン・アルコールで分別、サフラニン液またはパイフェル液で後染色を行います。この方法は細菌と生体細胞の区別がしやすい特徴がありますが、媒染液と脱色液が別々に用意されているため、操作には熟練度が必要です。
参考)グラム染色の種類バーミー法ハッカー法フェイバー法の違いは? …
バーミー法は、1%クリスタルバイオレット水溶液に5%炭酸水素ナトリウム水溶液を滴下する媒染操作が特徴で、経験差とは無関係にグラム陽性・陰性が明瞭に判断できます。ハッカー変法に比べ操作が1ステップ多いものの全体の染色時間は短く、検体の直接染色でも培養菌の染色でも良好な染色像が得られます。一方、フェイバー法は操作が1ステップ少なく時短になり、グラム染色の操作に慣れていない人でも簡単に行える点が最大の利点です。
参考)第二十三回:グラム染色の種類とコツ - どうぶつの細菌検査ど…
主にバーミー法とフェイバー法の使い分けとして、細胞診でグラム陰性菌が見にくい場合はバーミー法を選択し、時短したい場合はフェイバー法が推奨されます。ただし、フェイバー法では厚めの標本や蛋白質濃度が高い標本において、グラム陽性菌に似た顆粒が析出し、誤判定の原因となることがあるため注意が必要です。
参考)https://clinical-diagnostics.biz.sdc.shimadzu.co.jp/uploads/sites/4/support/information/%E8%A3%BD%E5%93%81%E6%8A%80%E8%A1%93%E6%83%85%E5%A0%B1_%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BCG_00101130_01_C.pdf
グラム染色は感染症の初期診療において極めて重要な迅速診断法であり、10分程度で結果が得られ、抗菌薬の選択をするうえで有力な情報を提供します。グラム染色による喀痰塗抹検査では、起炎菌推定率の感度が89.4%、陰性的中率も85.7%と高値を示し、感染症診断における信頼性の高さが証明されています。グラム染色により起因菌が推定されると、その菌にピンポイントで効く狭域抗菌薬の選択が可能となり、抗菌薬の適正使用に貢献します。
参考)https://www.chiringi.or.jp/k_library/biseibutu_hp/20120714/3.pdf
臨床現場でグラム染色から得られる情報には、観察された菌が原因菌か否かの判断、原因菌の推定、炎症の度合いや種類の評価、誤嚥による炎症の評価、抗菌薬治療効果判定などが含まれます。特に尿路感染症の診断においては、グラム染色は検査当日に迅速に結果が得られ、初期抗菌薬の選択や治療方針の決定を行える有用な検査です。近年では、AIを用いたグラム染色画像の解析技術も開発され、専門医療職と同等の精度で尿路感染症に関連する原因菌を識別することが可能となっています。
参考)https://www.jscm.org/journal/full/03201/032010014.pdf
グラム染色と細菌の形態(球菌・桿菌)の組み合わせにより、細菌は4種類(グラム陽性球菌・グラム陽性桿菌・グラム陰性球菌・グラム陰性桿菌)に分類され、この分類が抗菌薬選択の重要な指標となります。可能であれば推定起炎菌を記載するように依頼することで、嫌気性菌のように培養が難しく偽陰性になりやすい細菌でも、塗抹検査で確認できるため、グラム染色の重要性が強調されています。
参考)グラム染色画像をAIが解析し、尿路感染症に関連する原因菌を専…
グラム染色で最もミスが起きやすい操作は脱色であり、標本面に残った水分で脱色液が薄められると、脱色力が逆に増強され、グラム陽性菌が陰性化してしまいます。脱色時間が長すぎると細胞壁の厚いグラム陽性菌も脱色されて赤色に染まることがあり、逆に脱色時間が短すぎると細胞壁の薄いグラム陰性菌でも紫色が残ったままになることがあります。対処法としては、脱色前に標本上に残った水滴をよく切ること、最初の脱色液の注ぎ方が重要で、塗抹部分のみではなく一気に注いでスライドグラス全面を脱色液で満たすことが推奨されます。
参考)グラム染色で失敗する原因とは? - カーブジェン+
検体のサンプリングや処理が不適切である場合、塗抹標本の準備が不適切である場合、事前の抗生物質療法が行われた場合にも、グラム染色の結果に影響を与える可能性があります。特に塗抹が厚い部分では染色液の沈殿(顆粒)が析出し、判定困難となるため、検体を薄く広げて自然乾燥することが重要です。また、古い菌体はグラム陽性菌であっても陰性化しやすいため、新鮮な培養菌を使用することが推奨されます。
グラム染色の精度を向上させるためには、適切な固定方法の選択も重要です。火炎固定は最も一般的な方法ですが、塗抹面を上にしてガスバーナーの炎の中をゆっくり3回通過させることが標準的な手順です。メタノール固定を使用する場合は1分間の固定時間が必要です。染色試薬は化学反応であるため、有効期限を厳守し、極端な長時間・短時間の処理を避けることも失敗を防ぐための重要なポイントです。
参考)http://www.kanazawa-med.ac.jp/~kansen/situmon/bamp;m4.html
フェイバー法の最大の利点は、ヨウ素液による媒染およびエタノールでの脱色法のような高度な技術が不要であり、ピクリン酸エタノール溶液で媒染と脱色を同時に行うため、操作が簡便で時間短縮が可能な点です。この特性により、グラム染色の操作に慣れていない初心者でも比較的容易に良好な染色結果を得ることができます。また、工程が1つ少ないため、忙しい臨床現場や緊急検査が必要な状況において効率的に検査を実施できる利点があります。
参考)https://industrial-diagnostics.biz.sdc.shimadzu.co.jp/uploads/sites/6/pamphlet/05869,05871,05872,05875_FavorG_Flyer.pdf
一方で、フェイバー法にはいくつかの注意点も存在します。厚めの標本や蛋白質濃度が高い標本では、グラム陽性菌に似た顆粒が析出し、偽陽性の原因となることがあるため、塗抹は薄く均一に行うことが重要です。また、ハッカー法やバーミー法と比較すると、細胞診でグラム陰性菌がやや見にくい傾向があるため、検体の種類や臨床状況に応じて他の染色法との使い分けが推奨されます。
フェイバー法を実践的に活用する際には、染色液の品質管理も重要な要素です。ビクトリアブルー液は室温保存が可能ですが、グラム陽性菌が青く染まり、脱色液で脱色されないことを確認するため、定期的に精度管理用の試験菌株(グラム陽性菌と陰性菌)を用いた品質チェックが必要です。市販のフェイバーG染色試薬セットを使用することで、試薬の調製の手間を省き、安定した染色結果を得ることができます。
参考)フェイバーG 染色液A ビクトリアブルー
感染症診断における迅速性と正確性のバランスを考慮すると、フェイバー法は特に以下のような状況で有用です。夜間帯や休日など専門医療職が不在の時間帯、緊急で起炎菌推定が必要な重症感染症の初期診療、グラム染色の経験が少ないスタッフが検査を実施する場合などです。これらの状況では、フェイバー法の簡便性と時短効果が臨床的に大きな価値を持ちます。
参考)抗菌薬適正使用普及のためのグラム染色検査の実施とその結果を患…
一般社団法人地方衛生検査技師会「グラム染色の見方と考え方」PDFガイド - グラム染色の詳細な手技とコツを解説
日本内科学会雑誌「感染症の迅速診断」論文 - グラム染色による喀痰塗抹検査の臨床的意義を詳述
神奈川県衛生研究所「染色法」ページ - グラム染色法の原理と各種変法の特徴を解説