奇異反応(paradoxical reaction)とは、薬物療法において本来予想される作用とは正反対の反応が生じる現象です。ベンゾジアゼピン系薬剤では、抗不安作用や鎮静作用を期待して投与したにもかかわらず、逆に不安や焦燥感が増悪し、攻撃性や興奮などを呈する病態として定義されます。この反応は英語で「paradoxical reaction」と訳され、「矛盾している」という意味を持ちます。
参考)奇異反応とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書
発生頻度は0.2〜0.7%と比較的まれですが、精神科を受診する患者や中枢神経系に脆弱性のある患者では出現しやすく、ハイリスク群と考えられています。奇異反応は用量依存性であり、高用量で生じやすい傾向があります。特に半減期の短いベンゾジアゼピン系薬剤(例:ハルシオン)に多くみられることが分かっています。
参考)奇異反応 - 心療内科 新(あらた)クリニックのブログ
ベンゾジアゼピン系薬剤は、本来抗不安作用、鎮静・催眠作用、抗けいれん作用、筋弛緩作用を持つ有用な薬剤ですが、奇異反応はその重要な副作用の一つとして認識されています。臨床現場では、処方量を必要最小限に留めることが大事であり、症状が逆に悪化する場合は奇異反応を疑う必要があります。
参考)https://s6c771c9b0ae8a414.jimcontent.com/download/version/1533221486/module/5718128066/name/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%BE%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%BC%E3%83%94%E3%83%B3%E7%B3%BB%E8%96%AC%E5%89%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%A5%87%E7%95%B0%E5%8F%8D%E5%BF%9C%EF%BC%9A%E6%94%BB%E6%92%83%E6%80%A7%EF%BC%8C%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E3%82%92%E4%B8%AD%E5%BF%83%E3%81%AB%EF%BC%88%E5%80%89%E7%94%B0%E6%98%8E%E5%AD%90%EF%BC%89.pdf
ベンゾジアゼピン系薬剤による奇異反応の症状は、多岐にわたります。主な症状として、①抑うつ状態(抑うつ症状の発現や増悪、希死念慮、自傷行為)、②精神病状態・躁状態(幻聴、幻視、被害妄想、悪夢、躁状態)、③敵意・攻撃性・興奮が報告されています。
参考)https://www.ho.chiba-u.ac.jp/pharmacy/No16_sotsugo1_0421.pdf
具体的な症状としては、不安の増加、脱抑制、攻撃性、動揺、精神錯乱、多弁、暴力行為などが比較的まれながら出現することがあります。自殺傾向の有無にかかわらず抑うつ、恐怖症、攻撃性、暴力、精神病と時に誤診される症状から成ることが知られています。
参考)奇異反応 - Wikipedia
敏感な人では、ベンゾジアゼピン治療に対して、不安の増加、攻撃性、動揺、精神錯乱、脱抑制、衝動の制御を失う、多弁、暴力行為、痙攣の反応がある可能性があります。矛盾した副作用は犯罪行為さえも招く可能性があり、重篤な行動変化には、躁病、統合失調症、怒り、衝動性、軽躁病などが報告されています。
奇異反応と本来の症状の悪化や元々の性格による反応との鑑別は困難ですが、診断を誤ると攻撃性や興奮が遷延し暴力を生ずる可能性もあり、注意が必要です。投与薬剤の種類や用量と症状を経時的に振り返ることが診断に重要となります。
奇異反応の原因はいまだ明らかでない部分が多いものの、ベンゾジアゼピン系薬の中枢神経系への作用による脱抑制によって生じると考えられています。ベンゾジアゼピン系薬は、神経細胞に分布するGABA A受容体に存在するベンゾジアゼピン受容体にアゴニストとして作用します。
参考)https://s6c771c9b0ae8a414.jimcontent.com/download/version/1661345800/module/6331516966/name/20220824_%E5%A5%87%E7%95%B0%E5%8F%8D%E5%BF%9C.pdf
薬物が受容体に結合するとアロステリックにGABA A受容体が活性化され、塩素イオンチャネルが開口し、塩素イオンが細胞内に流入することで過分極となり、鎮静に働くとされます。こうして大脳辺縁系の神経活動を抑制し、抗不安効果をもたらします。
参考)https://bsd.neuroinf.jp/w/index.php?title=%E6%8A%97%E4%B8%8D%E5%AE%89%E8%96%ACamp;mobileaction=toggle_view_desktop
しかし、この脱抑制の影響により、社会的に容認できない行動の制御が不能となることがあり、これが奇異反応として出現すると解釈されています。GABA受容体の活性化による過剰な抑制が、逆説的に興奮性の反応を引き起こすメカニズムは複雑であり、今後の研究が待たれます。
参考)ベンゾジアゼピン - Wikipedia
ベンゾジアゼピン系薬剤は直接には塩素イオンの通過性に影響せず、内在性のGABAの効果を増強するものの、これは生理的刺激を最大にするだけです。したがって、過量服用しても身体的な影響は限定されていますが、奇異反応のような予期しない作用が出現することがあります。
参考)抗不安薬 - 脳科学辞典
奇異反応は特定の患者集団で出現しやすいことが知られています。頻度は全体として0.2〜0.7%と多くありませんが、葛藤の多い環境や、元々衝動コントロールが不良な患者、中枢神経系に脆弱性のある患者で出現しやすい傾向があります。
高齢者や認知症、術後の患者への投与では特に注意が必要です。ベンゾジアゼピン系薬剤は時にせん妄を引き起こすこともあり、高齢者では記憶障害や不注意が奇異反応の初発症状となりうることがあります。認知症患者はしばしばせん妄を起こし、ベンゾジアゼピン系薬剤の投与がこれを悪化させる可能性があります。
参考)せん妄 - 07. 神経疾患 - MSDマニュアル プロフェ…
千葉大学病院薬剤部の資料では、ベンゾジアゼピン系薬による奇異反応のリスク因子と対策について詳しく解説されています
高齢者では、BZ受容体作動薬に対する感受性が高まるとともに代謝・排泄が遅延し、認知機能の低下、転倒・骨折やせん妄などの副作用が現れやすくなります。また、健忘やせん妄は高齢者に認知機能障害をもたらし、自立した生活の継続に支障となる可能性があります。長期使用後に認知機能障害が持続するとの報告もあり、慎重な投与が求められます。
参考)https://kyusyu.jcho.go.jp/wp-content/uploads/2018/07/201807seisinka.pdf
脳器質疾患や認知症を有する患者では、ベンゾジアゼピン系薬剤の奇異反応が生じやすく、記憶障害ないしは健忘、過鎮静、常用量依存などの看過できない有害事象が存在します。
参考)http://184.73.219.23/rounen-s/J-senyou/H-tokusyu/T24-8.htm
奇異反応の治療の原則は、原因薬剤の中止です。ベンゾジアゼピン系薬剤の投与で標的症状が逆に悪化する場合、投与薬剤の種類や用量と症状を経時的に振り返ることが必要となります。
興奮が著しく早急な改善が必要な際は、フルマゼニルやハロペリドール(抗精神病薬)の投与を検討します。フルマゼニルは中枢神経系のベンゾジアゼピン受容体拮抗薬であり、ベンゾジアゼピン系薬の奇異反応に有効であったことが報告されています。フルマゼニルはベンゾジアゼピン受容体に結合しますが、特異的な拮抗作用を示し、単独投与では筋弛緩作用や抗葛藤作用などを示しません。
参考)https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00051693.pdf
フルマゼニルの添付文書では、ベンゾジアゼピン系薬剤による鎮静の解除及び呼吸抑制の改善の適応と使用法が記載されています
ただし、フルマゼニルは即効性があるものの、半減期が50分程度と短く奇異反応が再度生じる可能性があることや、ベンゾジアゼピン系薬の常用者では離脱症状が出現する可能性があることに注意が必要です。離脱症状があらわれた場合はベンゾジアゼピン系薬剤を緩徐に静脈内投与するなど適切な処置を行うことが求められます。
参考)https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00001451.pdf
副作用が現れた場合、自己判断で薬の量を増やしたり減らしたり、あるいは服用を中止したりすることは絶対に避けるべきです。症状が悪化したり、離脱症状が出たりする危険があるため、まずは医師に相談し、用量調整や他の薬への変更を検討することが重要です。
参考)抗不安薬(精神安定剤)の種類・効果・副作用ガイド href="https://www.shinagawa-mental.com/othercolumn/62304/" target="_blank">https://www.shinagawa-mental.com/othercolumn/62304/amp;#821…
奇異反応を予防するためには、ベンゾジアゼピン系薬剤の適正使用が不可欠です。処方量は必要最小限に留めることが大事であり、抗不安薬や睡眠薬の処方量は必要最小限にとどめることが重要です。
不眠症状およびそれに起因した日中の機能低下の十分な改善が少なくとも4〜8週続いている場合は、睡眠薬の減薬を検討し、短期間の使用にとどめることが予防上重要です。ベンゾジアゼピンは2〜4週間を超えて連用すると薬物依存(依存症)を発症する危険性があります。
参考)ベンゾジアゼピンの減薬方法 - 全国ベンゾジアゼピン薬害連絡…
高用量や多剤併用で副作用が生じやすいため、単剤かつ適正用量で使用することが求められます。BZ受容体作動薬の副作用は、高用量や多剤併用で生じやすいことが知られています。
参考)不安症治療におけるベンゾジアゼピン受容体作動薬の適正使用 (…
ベンゾジアゼピンは「急性期の鎮静効果」しかなく、原疾患を治癒させる効果(作用機序)は乏しく、症状の鎮静を目的に長期間にわたり服用するメリットは小さいため、服用期間が延びれば延びるほど、デメリット(依存、離脱、奇異反応)が大きくなっていきます。したがって、ベンゾジアゼピンは「急性期の鎮静」に限定して処方されるべき薬物です。
減薬する場合は、必ず医師に相談し、専門医の管理下で施行する必要があります。急激に減薬または断薬すると、多くの場合離脱症状を発症するため、慎重な対応が必要です。依存を予防するためには、必要以上に長く服用し続けることを避ける必要があり、主治医とよく相談することが重要です。
参考)https://www.pmda.go.jp/files/000245312.pdf
厚生労働省の重篤副作用疾患別対応マニュアルでは、ベンゾジアゼピン受容体作動薬の治療薬依存と適正使用について詳しく記載されています
医療従事者は、ベンゾジアゼピン系薬剤の処方時に奇異反応のリスクを常に念頭に置き、特にハイリスク患者では慎重な観察と用量調整が必要となります。