ジスチグミン臭化物は、1950年代に化学合成されたカルバメート系の可逆的コリンエステラーゼ(ChE)阻害薬であり、アセチルコリンエステラーゼまたはコリンエステラーゼを可逆的に阻害することで、シナプス間隙におけるアセチルコリンの蓄積を引き起こします。この作用により、間接的にアセチルコリンの作用を増強・持続させ、副交感神経支配臓器ではムスカリン様作用を、骨格筋接合部ではニコチン様作用を発揮します。
参考)https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00054190.pdf
動物実験においてジスチグミン100μg/kgをラットに1回腹腔内投与した際、血中コリンエステラーゼ活性は約80%阻害されることが確認されており、ネオスチグミンと比較してより強力なChE阻害効果を示します。さらに、ラットの血涙反応では、アセチルコリンED50値を1/5に減少させるのに必要な用量はジスチグミンで8.6μg/kg、ネオスチグミンで16.6μg/kgであり、ジスチグミンの方が約半分の用量で同等の効果を発揮します。
ジスチグミンの最も重要な特徴の一つが、その長時間持続性効果です。投与後2時間で最大の作用を示し、投与24時間後においても効果が認められることが実験的に確認されています。モルモットを用いたシストメトリー法による研究では、ジスチグミン0.03mg/kgの用量で膀胱内圧(IVPmax)の増加が投与12時間後まで持続することが示されました。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/yakushi/141/2/141_20-00212/_pdf
興味深いことに、ジスチグミンの膀胱運動増強効果およびコリンエステラーゼ阻害作用は、その血漿中濃度とは相関しないことが明らかになっています。ジスチグミンを静脈内投与すると速やかに血漿中から消失し、投与3時間後には投与3分後の濃度と比較して約95%が消失、投与6時間後には約99%が消失します。それにもかかわらず、膀胱内圧増強効果やコリンエステラーゼ阻害作用は長時間持続することから、ジスチグミンが組織内に長期間保持されるか、何らかの二次的な作用機序が関与していると考えられています。
実際に、ジスチグミンを経口投与したラットでは、赤血球、結腸、膀胱および顎下腺のコリンエステラーゼ活性が投与12時間後においても抑制されたままであることが報告されています。この長時間持続性により、ジスチグミンは1日1回の投与でも十分な治療効果を発揮できるという臨床的利点があります。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpnjurol/105/1/105_10/_pdf
ジスチグミンは膀胱の収縮機能を助け、排尿をスムーズにする効果があります。低活動膀胱(排尿筋低活動)とは排尿時の膀胱収縮力が低下した状態で、尿排出が困難となったり残尿が増加したりしますが、ジスチグミンはこの病態に対して有効性を示します。
参考)http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se12/se1231014.html
α1遮断薬を4週間以上投与しても排尿困難の改善が不十分か、残尿が50ml以上ある低活動膀胱患者39例(男性18例、女性21例、平均年齢75歳)を対象とした臨床研究では、α1遮断薬にジスチグミン5mg錠を1日1回朝食後に8週間併用投与したところ、投与4週後と8週後には国際前立腺症状スコア(IPSS)のすべての項目、QOLスコア、残尿量が有意に低下しました。患者印象による改善度は4週後に半数以上の症例で、8週後でも3分の1以上の症例で改善以上であり、早期に改善する傾向が認められました。
手術後の排尿障害に対する有効率は90.2%(119/132例)、神経因性膀胱に対しては72.4%(71/98例)と高い有効性が報告されています。脊髄疾患による排尿障害では65.4%(68/104例)、末梢神経疾患では76.3%(71/93例)の有効率が示されており、様々な原因による排尿困難に対して幅広い適応があります。
参考)ウブレチド錠5mgの効能・副作用|ケアネット医療用医薬品検索
重症筋無力症は神経筋接合部におけるアセチルコリン受容体の減少により筋力低下を来す自己免疫疾患ですが、ジスチグミンはアセチルコリンの分解を抑制することで、神経筋接合部でのアセチルコリン作用を増強し、筋力の改善をもたらします。
参考)くすりのしおり : 患者向け情報
重症筋無力症患者134例を対象とした臨床成績では、1日投与量別の有効率は5mgで84.8%(56/66例)、10mgで78.8%(41/52例)、15mgで93.8%(15/16例)であり、全体として83.6%(112/134例)の高い有効率が示されています。重症筋無力症患者にジスチグミンを経口投与すると、症状の緩和が36時間にわたり認められることが報告されており、長時間作用型のコリンエステラーゼ阻害薬としての特性が臨床的に有用です。
ラットにおける抗クラーレ作用(d-ツボクラリンの筋弛緩作用に対する拮抗作用)は投与24時間後まで観察され、これはジスチグミンの持続的な神経筋伝達改善効果を示す重要な知見です。この長時間作用により、患者は1日数回の服用ではなく、より少ない投与回数で症状のコントロールが可能となります。
参考)https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00070582.pdf
ジスチグミンの効果には個人差があり、患者の年齢、体重、腎機能、併用薬などの要因が影響します。高齢者では肝・腎機能が低下していることが多く、体重が少ない傾向があるため、副作用が発現しやすくなります。そのため、医師の厳重な監督下で通常成人1日5mgから投与を開始し、患者の状態を十分観察しながら症状により適宜増減する必要があります。
参考)https://clinicalsup.jp/jpoc/DrugInfoPdf/00062649.pdf
また、ジスチグミン投与後に一部の症例で頻尿がみられることがありますが、これは排尿時には低活動膀胱でも、蓄尿時には過活動膀胱の要素があり、ジスチグミンが蓄尿時の神経終末や尿路上皮から分泌されたアセチルコリンを分解するコリンエステラーゼの作用を阻害したためと考えられます。動物実験では、排尿時の低活動膀胱と蓄尿時の過活動膀胱が一緒に存在する場合には、ジスチグミンと抗コリン薬の併用が有効である可能性が示されています。
残尿量の減少に伴い、血清クレアチニンが僅かに低下する傾向も報告されています。これは、残尿が減少することで膀胱壁のクレアチニン吸収が減少したためと考えられ、ジスチグミンの排尿改善効果が全身の代謝指標にも影響を与える可能性を示唆しています。
排尿筋低活動患者に対するジスチグミン臭化物投与の有効性と安全性についての詳細な臨床検討データ
膀胱運動に対するジスチグミンの長時間持続性増強効果の作用機序に関する薬理学的研究
ジスチグミンの適応疾患は大きく分けて2つあります。第一に、手術後及び神経因性膀胱などの低緊張性膀胱による排尿困難に対して、ジスチグミン臭化物として成人1日5mgを経口投与します。第二に、重症筋無力症に対しては、通常成人1日5~20mgを1~4回に分割経口投与し、症状により適宜増減します。
参考)https://www.pmda.go.jp/files/000203208.pdf
重要な点として、2010年に用法用量の改訂が行われ、排尿困難に対する用量が1日5mgのみに制限されました。これは、1日5mgを超える用量では副作用による重篤な事象(コリン作動性クリーゼ)の報告があったこと、また効果についても5mg、10mg、15mgでそれぞれ76.1%、73.4%、74.4%とほとんど変わらなかったためです。
参考)https://saiyaku.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2020/02/20100309a.pdf
健康成人に14C-ジスチグミン臭化物5mgを単回経口投与した結果、投与216時間後までの尿中及び糞中への累積排泄率は、それぞれ6.5%及び88.0%であり、主に糞便から排泄されることが明らかになっています。血中濃度が定常状態になるには約14日間を要するため、投与開始から2週間は特に注意深い経過観察が必要です。
参考)ウブレチド href="https://heart-clinic.jp/%E3%82%A6%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%81%E3%83%89" target="_blank">https://heart-clinic.jp/%E3%82%A6%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%81%E3%83%89amp;#8211; Welcome to 佐野内科ハ…
ジスチグミンの最も重篤な副作用は、意識障害を伴うコリン作動性クリーゼです。コリン作動性クリーゼの初期症状には、悪心・嘔吐、腹痛、下痢、唾液分泌過多、気道分泌過多、発汗、徐脈、縮瞳、呼吸困難などがあり、臨床検査では血清コリンエステラーゼの低下が認められます。投与開始2週間以内での発現が多く報告されているため、特にこの期間は注意が必要です。
参考)https://www.jshp.or.jp/information/preavoid/46-11.pdf
コリン作動性クリーゼが疑われる場合には、直ちに投与を中止し、アトロピン硫酸塩水和物0.5~1mg(患者の症状に合わせて適宜増量)を静脈内投与します。また、呼吸不全に至ることもあるため、その場合は気道を確保し、人工換気を考慮する必要があります。高齢者では5mg投与でも、特に70歳以上では副作用発現の頻度が高くなることが報告されています。
循環器系の副作用として、狭心症や不整脈(心室頻拍、心房細動、房室ブロック、洞停止など)があらわれることがあります。このような場合には、直ちに投与を中止し、適切な処置を行う必要があります。その他の副作用としては、消化器症状(下痢、腹痛、悪心、嘔吐など)、骨格筋症状(筋痙攣、筋力低下、線維束れん縮など)、精神神経系症状(めまい、頭痛、睡眠障害など)、泌尿器症状(尿失禁、頻尿、尿道痛など)が報告されています。
ジスチグミンには絶対禁忌となる病態があります。消化管または尿路に閉塞がある患者、迷走神経緊張症の患者、脱分極性筋弛緩剤(スキサメトニウム塩化物水和物など)を使用している患者、過去にジスチグミン臭化物に含まれる成分で過敏症があった患者には投与できません。
参考)https://www.nichiiko.co.jp/medicine/file/73910/patient_guide/73910_patient_guide.pdf
慎重投与が必要な患者として、コリン作動薬やコリンエステラーゼ阻害薬を使用している人、気管支喘息がある人、甲状腺機能亢進がある人、徐脈・心疾患(冠動脈疾患、不整脈)がある人、消化性潰瘍がある人、てんかんがある人、パーキンソン症候群の人、腎機能障害がある人などが挙げられます。
特に注意すべき点として、アルツハイマー型認知症治療薬であるコリンエステラーゼ阻害薬(リバスチグミンなど)を使用している患者では、ジスチグミンとの併用によりコリン作動性クリーゼを発症するリスクが増大します。常用量以下のリバスチグミン経皮吸収型製剤使用中の患者がジスチグミン臭化物を1回だけ服用し、その1週間後にコリン作動性クリーゼ様症状を呈した症例も報告されています。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsem/18/4/18_599/_pdf
ジスチグミンには併用禁忌の薬剤があります。脱分極性筋弛緩剤(スキサメトニウム塩化物水和物製剤:スキサメトニウム注、レラキシン注など)は、ジスチグミンとの併用により筋弛緩作用が増強され、重篤な呼吸抑制を引き起こす可能性があるため、絶対に併用してはいけません。
参考)医療用医薬品 : ジスチグミン臭化物 (相互作用情報)
併用注意の薬剤として、副交感神経抑制剤(アトロピン硫酸塩水和物など)があります。これらの薬剤はジスチグミンの作用を減弱させる可能性があるため、併用する場合は注意深い観察が必要です。
また、コリンエステラーゼ阻害作用を持つ他の薬剤(リバスチグミン、ドネペジル、ガランタミンなど)との併用は、ChE阻害作用が増強しコリン作動性クリーゼ発症のリスクが高まるため、特に慎重な対応が求められます。ジスチグミンを処方する際には、処方量、年齢、処方期間、併用薬、イレウスの有無、ChE活性値、消化器症状を確認する必要があります。
参考)https://jsct.jp/wp/wp-content/uploads/2023/12/34_2_128.pdf
コリンエステラーゼ阻害薬2剤併用によるコリン作動性クリーゼの症例報告と薬剤相互作用の詳細な考察
ジスチグミンは主に消化管から吸収され、その後主に糞便中に排泄されます。健康成人に14C-ジスチグミン臭化物5mgを単回経口投与した薬物動態研究では、投与216時間後(約9日間)までの累積排泄率は尿中が6.5%、糞中が88.0%であり、投与量の約94.5%が体外に排泄されることが確認されています。
参考)医療用医薬品 : ジスチグミン臭化物 (ジスチグミン臭化物錠…
この排泄パターンは、ジスチグミンが主に胆汁を介して消化管に排泄され、糞便中に排出されることを示しています。尿中排泄率が低いことから、腎機能障害のある患者でも比較的安全に使用できる可能性がありますが、それでも腎機能障害患者には慎重投与が推奨されています。
血中からの消失は速やかで、静脈内投与後3時間で約95%、6時間で約99%が血漿中から消失します。しかし、組織内では長時間保持されるため、薬理効果は血中濃度とは相関せず、投与後24時間以上にわたって持続します。この薬物動態学的特性が、ジスチグミンの1日1回投与を可能にしている重要な要因です。
ジスチグミンの効果を適切に評価するためには、複数の臨床指標を用いた総合的な判定が重要です。排尿困難に対する効果判定では、国際前立腺症状スコア(IPSS)、QOLスコア、残尿量測定が主要な評価指標となります。IPSSは排尿症状の重症度を評価する標準的なスコアリングシステムで、7つの質問項目からなり、各項目を0~5点で評価します。
残尿量の測定は、排尿後の膀胱内に残存する尿量を超音波検査などで測定するもので、治療効果の客観的指標として重要です。臨床研究では、α1遮断薬とジスチグミン5mgの併用投与により、投与4週後と8週後にIPSSのすべての項目、QOLスコア、残尿量が有意に低下することが示されています。
重症筋無力症に対する効果判定では、筋力の改善度、易疲労性の軽減、眼瞼下垂や複視などの眼症状の改善、嚥下困難や構音障害などの球麻痺症状の改善などが評価項目となります。血清コリンエステラーゼ値の測定は、過量投与やコリン作動性クリーゼのリスク評価に有用であり、定期的なモニタリングが推奨されます。
患者印象による改善度も重要な評価指標であり、臨床研究では投与4週後に半数以上の症例で、8週後でも3分の1以上の症例で改善以上の評価が得られています。このような主観的評価と客観的指標を組み合わせることで、より包括的な治療効果の判定が可能となります。
ジスチグミンは有効な薬剤である一方、重篤な副作用のリスクもあるため、医療従事者の適切な管理と患者教育が不可欠です。薬剤師は処方監査の段階で、処方量、患者の年齢、処方期間、併用薬、既往歴を確認し、必要に応じて処方医に疑義照会を行う責任があります。特に、コリンエステラーゼ阻害薬の併用、高齢者への処方、長期投与などのリスク因子がある場合は、より慎重な確認が求められます。
参考)https://jsct-web.umin.jp/wp/wp-content/uploads/2023/12/33_1_56.pdf
看護師は投与開始後の患者観察において重要な役割を果たします。特に投与開始2週間以内はコリン作動性クリーゼの発現リスクが高いため、悪心・嘔吐、腹痛、下痢、唾液分泌過多、気道分泌過多、発汗、徐脈、縮瞳、呼吸困難などの初期症状に注意深く観察する必要があります。これらの症状が認められた場合は、直ちに医師に報告し、適切な対応を取る必要があります。
医師は投与開始前に患者の禁忌事項や慎重投与の該当性を確認し、投与開始時は1日5mgから開始して患者の状態を十分に観察しながら、必要に応じて用量調整を行います。重症筋無力症の場合は、症状により1日5~20mgの範囲で調整しますが、常に最小有効量での維持を目指すべきです。定期的な血液検査(血清コリンエステラーゼ値、肝機能、腎機能など)のモニタリングも重要な管理項目です。
参考)医療関係者の皆様へ|鳥居薬品
泌尿器科以外の専門外の医師により多く継続処方されている現状があるため、ジスチグミンの特性や副作用リスクについての理解を深め、適切な患者選択と用量設定を行うことが重要です。また、患者自身にも薬剤の効果と副作用について十分に説明し、異常を感じた場合は速やかに医療機関に連絡するよう指導することが大切です。
ジスチグミン臭化物の用法用量改訂に関する医薬品医療機器総合機構からの公式情報
ジスチグミン臭化物製剤の使用にあたっての厚生労働省からの留意事項通知